講師ブログ
2020年3月22日
三井寺〜夢応の鯉魚(上田秋成『雨月物語』より)鯉魚とすべての生あるものの叫び
三井寺(園城寺)は京都からは地下鉄と京阪電鉄を乗り継いで、小旅行気分を味わいつつもとてもスムーズに訪れることができます。
いまではなんといっても、多くの映画やドラマのロケ地として知られ、本来の寺院としての楽しみ方に、またちがった味わいも感じられる場所ではないかと思います。
今回も真花塾の頼れる女子大生カメラマンの力を借りて、紅葉の季節に三井寺のさまざまな美しい場所をめぐることができました。三井寺にまつわる“古典”について掘り下げていきます。
■三井寺に残る”伝説”
三井寺には広大な境内に、たくさんの文化財だけでなく、さまざまな伝説が残っています。
たとえば、
・秘仏であるご本尊
・弁慶の引き摺り鐘
・ねずみの宮と頼豪阿闍梨
などです。
さらに“伝説的”なものとして、三井寺の興義という僧侶が魚となって不思議な体験をしたというお話が書かれている『雨月物語』の「夢応の鯉魚」が挙げられるのではないかと思います。
興義は、詳しいことは分かっていませんが、画家として有名な実在の人物なのだそうです。なお、「夢応の鯉魚」の主人公は、作者である上田秋成と同じ時代を生きた、べつの大阪の画家がモデルであるという説もあるようです。
■『雨月物語』より「夢応の鯉魚」のあらすじ
三井寺の興義は、絵が非常にうまいことで評判の僧侶です。琵琶湖に小舟を出して、漁師から買った魚をすぐに水に放して、その泳ぐさまを絵に描くこともありました。
また、魚で遊ぶ夢を見て目覚めるやいなや、すぐにそのさまを絵に描いて「夢応の鯉魚」と名前をつけて、それを人にあげていました。
あるとき興義は病気で急死してしまいますが、その三日後に蘇生して、檀家の一人にある話を始めます。
それは、自分が死んでからの話。彼は夢を見ていたというものでした。
興義は一匹の鯉に生まれ変わっていたのです。
水の中を泳ぎ回っているときの様子、そして漁師に釣り上げられ、その檀家の家で膾にするために料理される(つまり人間によって殺される)ことになって、命を取られるまさに寸前で、目が覚めたのだと。
とくに私たちに強烈な印象を残すのは、興義が鯉としての楽しみを謳歌していた一方で、海神からのこのような詔を聞いていたにもかかわらず、欲望に負けて釣り針にかかり、殺される恐怖が描かれるくだりではないでしょうか。
海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今、江に入て魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせた給ふ。只餌の香ばしき昧まされて釣りの糸にかかり身を亡ふ事なかれ・・・
生前の放生の功徳により、
かねてからの「魚になって悠々と泳ぎたい」という望みをかなえてあげよう。
でも、餌のかんばしい香りに目が眩んで、
釣り糸にかかって身を滅ぼしてはいけないよ・・・
興義は「自分は仏の弟子である。たとえ食べ物がなくても、魚の餌などどうして食べることができるだろうか、いや、そんなはずはない」と思い、また泳ぎ始めます。
突然、ひどい空腹を感じてきました。どうしようもなく狂うように泳ぎ回っているうち、知り合いの漁師が釣りをしているのに出会いました。
そして、餌を食べても捕まりはしない、それに自分の知り合いの漁師なのだから気にするまでもない、と考えてついに餌を飲み込んでしまいました。
こうして、釣り上げられた興義は慌てふためき、漁師に向かって叫びます。
こはいかにするぞ
でも、まったく届くことがありません。そのうちに、檀家の家へと運ばれました。
そこで、宴会に集まる人々に向かって
旁らは興義をわすれ給ふか。ゆるさせ給へ。寺にかへさせ給へ
としきりに叫んでも、彼らにも聞き入れてもらえない。とうとう漁師人によってまな板に乗せられたとき、刀が目に入ります。
仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよ
泣き叫ぶ興義。とうとう切られる!・・・そこで目が覚めたのです。
この話を聞いた人々は、そういえばあの魚は、声はしなかったが口をぱくぱくさせていたなと思い出し、膾の残りを湖に捨てることにしました。
■興義のその後
興義はその後天寿を全うし、臨終のときには、自分が描いた鯉の絵を湖に散らしました。絵のなかの鯉は紙を抜け出して水中に泳いだため、興義の絵は今に残されていないのだとか。
僧侶にもかかわらず生への執着を捨てられず、最期のときに自分を「仏弟子」だと言って泣き叫ぶ。それを傲慢な人だ、僧侶らしくない、まるで普通の人間と同じである。
これが「夢応の鯉魚」です。
直接三井寺が出てくるのではありませんが、三井寺の興義のこの不思議な物語は、真に迫ってくるものがあります。魚の叫びは、いわば生あるものすべての叫びです。
■琵琶湖周辺の美しい景色と和歌的な言葉の数々
ちなみに、この物語には、琵琶湖周辺の地名や歌枕がたくさん出てきます。魚となって泳ぎ回る興義が、昼に夜に見た美しい景色を、和歌の修辞を通してより立体的に感じられます。
長等の山、志賀の大湾、比良の高山。さらに、沖津嶋山、竹生嶋、伊吹の山風、そして瀬田の橋・・・。
琵琶湖へは、関西圏の人にとってはアクセスも便利ではありますが、このように古典文学を通して、ココロのプチ旅行をしてみるのも、とても面白いものですね。