講師ブログ

2020年1月16日

真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

縣神社・人の生死と神話のつながり【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

縣神社は宇治にある神社で、祭神は花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。またの名を神吾田鹿蘆津(かみあがたあしつひめのみこと)といいます。

山の神である大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘であり、天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)の妃。言わずとしれた「貞操の女神」として、いまでは人々に、家運隆盛と商売繁盛、結婚、安産を願われています。

『梁塵秘抄』には、このような和歌がおさめられているそうです。

宇治には神おわす
中をば菩薩御前 
橘小島のあたぬし 
七宝蓮華はをしつるぎ

さて今回は「天皇が有限の命になった理由」とされる、美しい木花開耶姫と、その姉である不器量な磐長姫(いわながひめ)についてのお話からです。

『古事記』にはこのようなくだりがあります。

瓊瓊杵尊は、自らが恋に落ちた相手である、木花開耶姫を妻にと大山祇命に願い出ます。そのとき、大山祇命は磐長姫も一緒に妻にと差し出しました。

瓊瓊杵尊は醜い磐長姫を拒否して追い返してしまいますが、実はこのことで「岩のように永年に変わらない」という健康を手にすることができませんでした。木花開耶姫は、桜が満開になったときのように栄える一方、すぐに散ってしまうことの象徴です。天皇(すめらみこと)の寿命はこうして、永遠ではなくなり死が避けられなくなったのです。

古代、この避けられない「死」をどのようにとらえるか、日本だけでなく世界中でさまざまな神話として伝えられています。それらを「死の起源説明神話」といいます。

■伝令型
アフリカに多いタイプで、神の心変わりによって、人は永遠の命ではなくなってしまったという内容です。神ははじめ、不死であるべきだと考えました。そして、たとえばカメレオンなどを伝令に選び、人のもとに行かせたものの、途中で考えが変わります。人は死ぬべきだという結論になりました。そこで、カメレオンよりも足の速い、トカゲなどの動物を伝令としたところ、トカゲはカメレオンをしっかり追い抜いて走っていきました。こうして「人は死ぬべきだ」という神からの伝言が人に届き、人は寿命を持つようになったというものです。

■処罰型
旧約聖書の「エデンの園」がよく知られていますね。ですが、人はもともと不死であったのが、罰を受けて死が定められたという内容は、他にもあるようです。

■代償型
はじめ不死だった人が、火などの大切なものを手に入れたことで、死ななければならなくなりました。

■対立型
神々の「人は死ぬべきだ」「いや、不死であるべきである」という意見の対立を経て、「死ぬべき」との考えを持った神の意見が勝ったというものです。ちなみに一説によると、イザナキとイザナミの黄泉比良坂での論争も、これをもとにしているといいます。

■選択型
瓊瓊杵尊のケースです。人間自身が、花のように変わり移るものを選びとってしまったために、「不死」は手にできませんでした。

5つのタイプ、皆さんはどの型に興味を覚えますか。

私はやはり「選択型」です。「死すべきだ」という望まない結論が出されてしまったとしても、それでも「人みずからが選んだ」と思えば受け入れられるような思いがします。

瓊瓊杵尊も、大山祇命から「せっかく永遠の命を思って磐長姫を差し出したのに」と知らされたとき、大きな後悔をしましたが、抵抗することなくそれを受け入れています。

人類は長い歴史の中で、何度も争いを重ねてきました。私は、なにかの書物で、「その土地に住む人々を本当に支配したければ、彼らが心を寄せる神話を破壊しろ」という考えがあると聞いたことがあります。

逆に言えば、その土地に住む人々について本当に知って歩み寄ろうとするならば、彼らの神話を調べてみるとよい。

日本の神話『古事記』や『日本書紀』も、大きな枠組みでは「古典」のひとつです。

一見、とても信じられないようなストーリーにも、私たちの考えや慣習として、根付いているものが多くあります。

神社めぐりが好きという方はぜひ、ご祭神に注目してみてください。きっと何か新しい発見とその喜びがあると思います。