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2022年7月18日

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北野天満宮〜梅は飛ぶとは何事か

北野天満宮は、学問の神様として知られる菅原道真を祀る神社です。

彼は代々学者の家系に生まれ、彼自身も漢籍、和歌、書の才能にあふれていただけでなく、優れた政治家でもありました。いま「学問の神様」として多くの人にとっての受験シーズンの支えとなっているのも、頷けますね。

ところで彼が政治抗争に巻き込まれて太宰府に流罪となった際に詠んだ和歌はとても有名です。

東風吹かば
思ひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春を忘るな

そして、主人を追って太宰府まで梅の木が飛んで行ったという、いわゆる「飛梅伝説」につながっていきます。でもちょっと待ってください。梅の木がどれだけ道真を恋しがったとしても、木そのものが本当に飛ぶわけがない。「伝説」を本当の意味で楽しみたいなら、やはり伝説が生まれた背景をも知っておくことも大切です。

実はこの歌、「北野天神縁起絵巻」(道真の伝記、死後の祟り、天神社の創建の由来などが書かれたもの)のには、もう一首収められてセットで残されています。詞書も含めて紹介しましょう。

住み慣れ給いける紅梅殿の懐かしさのあまりに、心なき草木にも、契りを結び給いける

東風吹かば
匂いおこせよ
梅の花
主人なしとて
春を忘るな

桜花
主を忘れぬ
ものならば
吹き込む風に
言伝はせよ

 

さて、この御歌の故に、筑紫へこの梅は飛びまいりたちとぞ、申し侍るめる

道真が心を寄せ、残してゆく家族や都への思いを託したのは、梅の花だけではなく桜の花もあったとされているのです。なのに、その道真の思いに応えて飛んで行ったのは、梅だけ。桜はいったいどうなったんでしょうか。

当時の人々にとっても、梅だけが飛んで行って桜については言及されないというこの内容については、なかなか落としどころが見つけられなかったそうです。

時代が下って江戸時代初期の『洛陽北野天神縁起』では、先ほどの梅と桜の二つの歌に、こんな詞書がつくようになりました。

哀れなるかな、梅は万里の波をしのぎて、安楽寺へ飛びてけり。桜は三春の風にも開かず、すなわち枯れにけり、飛梅枯桜とはこの時の事とかや。

梅は道真を慕って太宰府へ飛び、一方で桜は道真がいない嘆きから、春になっても花を咲かせることなく、そのまま枯れてしまった。後付けとはいえ、誰もが納得し感動できるであろうお話となっています。

 

伝承とは、ある事件が起きた際にすぐそのまま伝わったものではなく、その後時間をかけて作られ、語りづがれながら、「いかにも本当だったかのように」手が加えられていったお話です。

もはやこの段階では、太宰府への左遷を言い渡されて嘆く道真の姿以上に、なんとかして「梅と桜のバランスを取ろう」と悪戦苦闘する縁起の書き手たちの姿のほうが、強く私たちの印象に残ります。

歴史において「史実は事実である」という揺らぎようのない側面もありますが、一方で史実と同じくらい「作られた歴史」もまた揺らがない土台となっていくこともあります。一見相反するこれらの動きを、俯瞰して読み取ることこそが、歴史を意義ある学びにする上では重要なのです。

さて、ところで本来飛ぶはずのない「飛梅」は、どうして飛んだこととなったのでしょうか。実はここのところはどうやらはっきりとはされていないようですが、これも後世によって作られたお話です。12世紀末に平康頼によって書かれた『宝物集』上には、「其後此歌ニ依テ、彼梅、主ヲ慕ヒテ安楽寺ヘ飛ヒテ」とあることから、経緯は不明でも、すでにこのころには「梅は飛んだ」という伝承が出来上がって広まっていたとされています。

先ほどの「梅は飛んだ、では桜はどうなったのか」という素朴な疑問と、後の時代の人たちによる辻褄合わせは、そもそもなぜ梅が飛んだか、ということが説得力を持って受け入れられなかったがゆえの動きだといえます。

興味深いのは、飛んだ梅の木と枯れてしまった桜の木に加えて、また他の植物が伝説に入れられていったことです。室町時代末期の『天神絵巻』には、都で梅と桜とともに道真が愛ででいた松の木が、太宰府行きに際してつれない態度を取ったので、道真が「梅は飛んできてくれた、桜は自分を思って枯れてしまった、なのに松はつれない様子だ」と言ったら、松はとうとう、梅がしたのと同じく太宰府へ飛んで行ったということが書かれています。

面白いですが、ここまでくると完全に創作の域に達してしまったようで、かえって興ざめしてしまう人も多いのではないでしょうか。脚色も過ぎれば逆効果ですね。

ただし、どうしてもここで「松」を仲間に入れておかなくてはいけなかった理由もあります。それは、元々天神信仰においては「松」がシンボルであったということです。道真が祭神となり、「飛梅枯桜」の伝承がなされるにつれて、「それなら松だってエピソードに入れておかなければ」との思いが、きっと誰かの心に湧き上がったのでしょう。

「東風吹かば」の歌は、中学生や高校生向けの古文の設問にもよく取り上げられますが、こんな深い背景を合わせ持っていたとは知りませんでした。実は桜も松もあったんだよと、天満宮を訪れるときにはぜひ思い返したいですね。