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2020年7月3日

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城南宮~春の七草と源氏物語「若菜上」

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ

いわずと知れた「春の七草」です。

ここ城南宮では、毎年2月11日、つまり旧暦の1月7日に近くを「城南宮七草粥の日」として、参拝する人々は七草粥をいただくことができます。

春の七草をすらすらと言える人も、なかなか実際に七草すべてを目にする機会は多くないのではないでしょうか。

神前に供えられた七草は、どれも青々として瑞々しさにあふれています。一年の無病息災、延命長寿を願ってこれらの若菜を口にするという風習も、なるほどとうなずけます。

さて、この七草の風習は、『源氏物語』の若菜上の巻にも登場します。

源氏が四十歳を迎えた春、源氏の養女であり、髭黒の大将の正妻となった玉鬘が、源氏に若菜を贈ります。

正月二十三日、子の日なるに、左大将殿の北の方、若菜まゐりたまふ。かねて気色も漏しらたまはで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、え諫め返しきこえたまはず。忍びたれど、さばかりの御勢なれば、渡りたまふ儀式など、いと響きことなり。

正月二十三日、その日は子の日なので、左大将殿の北の方(玉鬘)は若菜を差し上げなさる。前もってそのようなそぶりもお見せにならないで、たいそう内密にご準備なさっていたので、突然のことで、それをとがめてご辞退することもおできになれない。内々ではあるが、あれほどのご威勢なので、ご訪問の儀式などは、とても盛大なものだった。

「若菜まゐりたまふ」には「若菜をまゐりたまふ」と格助詞「を」が省略されていますね。さらに、「まゐり」は動詞「参る」の連用形。「参る」は「差し上げる」という意味です。

このように、正月の最初の子の日には、小松を引いたり若菜を摘んだりして、長寿を祈る風習がありました。

若菜とは、食用や薬用になる春の草のことです。いわゆる七草だけでなく、あざみ、さち、せり、わらび、なずな、あおい、よもぎ、たで、すいかん、しば、すずななどの新菜で、食べると若返るとされていました。

このときの源氏のようすは、このように書かれています。

いと若くきよらにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやとおぼゆるさまの、なまめかしく人の親げなくおはします・・・

(源氏は)とても若く気品があって美しく、このように四十の御賀なとということは、年の数え間違いではないかと思われるお姿で、若々しく、子どもがいる親ようには見えないほどでいらっしゃる・・・

さて、受験古文で「重要単語」とされる言葉がいくつかあることに、お気づきでしょうか。

清らなり、ひが〜、覚ゆ、なまめかし、おはします。この機会にぜひ辞書を引いてみてください。現代語とのちがいや、「予想してた意味とはこう違うんだ!」という楽しい発見が、きっとできるのではないかと思います。

この城南宮の「楽水苑」には、源氏物語に登場する花が数多く植えられています。

それというのも、城南宮のあたりは、平安時代後期には院政の拠点である鳥羽離宮が建てられました。白河上皇が光源氏の、四季の庭を備えた絢爛豪華な邸「六条院」に触発されて城南宮の造園を行ったことに、ちなんでいるのだそうです。

『源氏物語』は、多くの人にとって、高校生になって初めて本格的に学ぶものであると思います。高校生になると、古文はすっかり「暗記科目」とほぼ同じ状態になりがちです。

たしかに、作品知識、ことば、文法、和歌、そしていわゆる古文常識・・・。知っておかなければいけないことは山ほどあります。もちろん、源氏物語を学ぶときも同じです。

うぅー覚えることだらけで嫌になっちゃいそう!
イメージが湧かなくてつまらない!

そんなときこそ、ぜひこの城南宮を訪れてみていただきたいと思います。

私も若かりし頃、この神苑を歩きながら「あ、国語便覧で見た遣水ってこれのことか!」と感動したものです。

さらに、「源氏物語の巻名を『桐壺』から『夢の浮橋』まで全部言える」と自慢してくる友達に負けじと、「せーの」で「桐壺」から須磨」あたりまで頑張ってついていったこともよく覚えています。

人は、とくに子どものころや若いころに体験したこと、感動したことは、そう簡単に忘れ去ることができません。皆さんの心のどこかにひっそりとずっと残っていて、ここぞというときにパァっと蘇ってきます。

当然、七草粥の日に若菜を目にすることも、それを味わうことも、きっと皆さんの貴重な体験の一つになりますよ。