講師ブログ

2019年10月29日

学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

妙心寺塔頭 退蔵院 難問こそ楽しくアイデアを!「瓢鮎図」【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

お庭の美しさと呈茶がたのしめるお寺として、妙心寺の数多い塔頭のなかでも印象に残る退蔵院。かつ、禅の面白さに触れることのできる点で、非常に貴重な場所ではないかと思います。

写真の撮影時、季節は初秋。緑あざやかな木立が作り出す、光と影の美しさがとてもステキでした。

なかでも奥深い示唆を与えられる思いがするのは、如拙による水墨画、国宝「瓢鮎図」。歴史の教科書で見覚えのある人も多いのではないでしょうか。

中央に描かれている男性が、腕を突っ張りながら両手で瓢箪を持っています。水には、大きなナマズがどーんと泳いでいます。男性は何をしようとしているのかというと・・・ナマズを捕まえようとしているといいます、しかも瓢箪を使って。

「瓢箪でナマズを捕まえることができるか」

この問いの発案は、室町幕府四代将軍、足利義持です。画僧の如拙が絵を描いていますが、瓢鮎図の上半分を占めるようにびっしりと書かれた文言は、当時の禅僧たちによる「問いの答え」です。全部で31詩にもなります。

それにしても、表面ツルツルの瓢箪で、同じくツルツルにすべる鯰って、本当に押さえつけて捕まえられるものでしょうか。うーん・・・無理っぽくない?と誰もが思いますよね

31の「回答」である詩のなかから、印象的なものを挙げてみます。

■またどうして瓢箪で鯰をおさえようとするのか。
魚はそれすら意識せず、広い水の中を泳いでいる。それを同じように、人も無限の道(どう)にひたっているだけなのだ。

■客観的には“大笑い”
鯰の頭をおさえ、しっぽもおさえ、瓢箪は左へころころ、右へころころ
男は倒れて泥んこ。側で見る者にとってはクスクス笑うのみ。

■そのうちに鯰ではなくなるぞ
ただ水辺で瓢箪をつかっておさえていても、転がるだけた。鯰をおさえようとしてもどうしようもない。むしろ鯰は(そばに生えている)竹に登り、龍となるだろう。

面白い。31こ全てが、回答になっているような、なっていないような・・・いや、やっぱりなってない(笑)。

義持はこの謎かけにおいて、なにも完ぺきな答えを求めていたのではなく、出題そのものを楽しんでいたのだそうです。そして、回答する禅僧たちも、くすくすと笑いながら楽しんで考えていたのだといいます。「瓢箪で鯰なんて捕まえられるわけがないでしょ。そんなことを考えるよりもさ・・・」と斜め上のこたえを考えめぐらせる、彼らの笑いながらも真剣な表情が目に浮かぶようです。

禅といえば、座禅ですね。その座禅の目的も、大きく2パターンあると聞いたことがあります。ひとつは「無」になるための座禅、もうひとつは「あるテーマについて考えを巡らせる」(公案)ための座禅です。

後者について、公案とはことばを駆使して思考をすることです。悟りに至るために非常に重要だと言われていますが、興味深いのは同じ一つの公案であっても、禅僧たちの解釈はけっして同じではないことです。あえて、バラバラである解釈から学び取ることが大切なのだと思います。

あまり日常で「禅」を意識するチャンスの少ない私たちにとっても、ことばを読み、ことばを知り、そして気づいた事柄を自分のことばで表現することこそが「自分らしさ」を得ることに繋がります。

人は、幼児、小中学生、高校生を経て、大学生そして大人になるにつれ、学習の目的も姿勢も大きく異なっていきます。それでも「読み・書き・知り・努力を楽しむ」という学びの本質は同じです。

それは、内容をただただ丸暗記することに満足したり、誰かが述べる「正答」を覚えるだけだったり、自分で工夫することなく、指示された勉強「しか」やりたがらないうちは、けっして体得できないものです。ましてや楽しみを感じることはできません。

ですが、実社会は「すぐに答えが出そうにない問い」であふれています。ざっと仕事で求められるものを思いつくだけでも、仕事の効率化、顧客心理のつかみ方、商品開発、組織の活性化など。実際に挑まなければならない課題は、現場に合わせて細分化すれば数えきれないくらいです。

瓢鮎図を目の前にした禅僧たちのように、たとえ「そんなすぐに答えが分かるわけがない」と思ったとしても、「だからこそ起死回生のアイデアを」と楽しんで考え抜いていきたいものですね。

お庭での安らぎも、お抹茶とお菓子のおいしさも、そして悩み考えることの面白さと・・・。いい時間が過ごせました!