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2020年11月2日

塾長ブログ, 未分類

廬山寺〜紫式部の「眼」が見た人々と自己

京都御所の東側のそばにある廬山寺は、紫式部が『源氏物語』を執筆した場所として知られています。

紫式部は藤原為信を父に持ち、「学者肌の素朴で地道な生活」を送る家風の中で育ったといいます。また、幼い頃に母や姉を亡くしたこともあって、内省的な性格であったそうです。

また、当時漢籍は男性が身につけるべき教養でしたが、父為信は、式部の弟にそれを教えていたものの、そばで聞いていた式部のほうが理解が早かったので、「娘でなく男であったなら」と残念がったという逸話が残っています。

さて、誰もがよく知る光源氏が主人公のあの『源氏物語』は、まさに式部の代名詞です。「紫」式部と呼ばれるようになったのも、この物語の登場人物「若紫」に因んでいます。

『源氏物語』をめぐるエピソードは興味深いものが多いです。たとえば、実は光源氏のモデルとされる人物は6人ほどいます。

光源氏は、いわば彼らの魅力が結集したキャラクターなのです。なるほど、源氏が当時の男女誰もが憧れるスーパースターであるのもうなずけますね。

式部の「人々を観る眼」は非常に写実的かつ俗っぽく、くすっと笑えてしまうほどでです。『紫式部日記』には、ともに一条天皇の中宮彰子にお仕えする女房たちや、清少納言について、式部がどう捉えていたのかがよく分かる記述があります。

少しご紹介しましょう。

大納言の君は、いとささやかに、小さしといふべきかたなる人の、白ううつくしげに、つぶつぶと肥えたるが、うはべえはいとそびやかに、髪、丈に三寸ばかりあまりたる裾つき、かんざしなどぞ、すべて似るものなく、こまかにうつくしき。顔もいとらうらうしく、もてなしなど、らうたげになよびかなり。

「大納言の君は、とても小柄で、小さいといったほうがいい人で、色は白くかわいく、つぶらに肥えている人が、見た目にはとても体つきはすらっとしていて、髪は背丈に三寸(約9センチ)ほど余っている裾のようすや髪の生えぐあいなど、どれも類のないほど、すみずみまで行き届いて美しい。顔もとてもかわいらしくきれいで、振る舞いなども可憐で上品で穏やかだ。」

また、清少納言についてもこのように。少々長いですが、興味深いので引用します。

清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし。行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。

「清少納言はまさに得意顔でとても偉そうにしている人。あれほどかしこぶって漢字を書きちらしております程度も、よく見ると、まだとても足りない点が多いです。このように、人よりも特別でありたいと思ってそうしたがる人は、きっと見劣りがし、ゆくゆくは悪くなっていくだけですから、いつも風流ぶるようになった人は、とても寂しくて退屈なときでも、しみじみ感動しているようにふるまい、興あることも見逃さないうちに、自然とそうであってはならない不誠実な態度にもなるのでしょう。その不誠実になった人の行く末は、どうしてようことがありましょうか。いえ、きっとよくないはずです。」

紫式部がここまで辛辣であるのには、清少納言と同様に自身も漢籍の素養があったことや、内省的な自分と正反対のような清少納言の振る舞いに、大きく心が乱されたことが要因ではないかと思います。

ある特定の人に心乱され、嫌いまたは憎いという思いを抱くとき、その相手に自己を投影させていることがよくあるという話を聞いたことがあります。清少納言の人物像は、もちろん紫式部の書いたこの一節でのみ決まるものではありません。

むしろ、一貫して中宮定子と藤原道隆らの凋落を感じさせることなく、自身の「さかしだち」のエピソード以上に、定子の優しさと魅力をつづった『枕草子』からは、何一つ敬愛する女主人に寄せ来る現実の暗さを感じさせまいと覚悟に満ちている清少納言の表情が浮かぶようです。

紫式部は以上のように、周囲の女房たちについてあれこれと述べる一方で、理想的な「人(=女性)」の心持ちと振る舞いについて残しています。

様よう、すべて人はおいらかに、すこし心おきてのどかに、おちゐぬるをもととしてこそ、ゆゑもよしも、をかしく心やすけれ。

「すべて女というものは、見苦しくなく穏やかで、少し心持ちもゆったりして、落ち着いていることをまさに基本として、品位も風情も趣深く安心です」

現代においては、「人」は女性に限らず、男性も含めたすべての人にあてはまる理想像といえるでしょう。とはいえ、式部の言葉は、自分自身に向けた戒めにも似たもののように感じられます。

『紫式部日記』には、多くの場合「『源氏物語』の作者」とだけとらえられがちな彼女の、内面の葛藤や思いがこまかくつづられています。

その自身の複雑な思いに翻弄されまいと、必死に言葉を紡いだ彼女の憂いに満ちた表情は、清少納言が『枕草子』で見せる覚悟の顔つきにも似た、生きた人々の直面した苦悩や思いを伝えてくれます。