講師ブログ

2018年8月16日

古文, 教養講座, 狂言のことばをみんなで読んでみる会

古典伝承に魂を込めて~10月イベント紹介vol.3~

能楽(能と狂言)は、中世・室町時代の様々な文化が、舞台芸能の形で、今に伝わっているものです。能や狂言は、観客を前にして披露され、それぞれの場で、しかるべき人々に受け入れられることが重要でした。古典指導に力を入れるネット塾・真花塾としては、次世代のためにも魅力ある古典芸能と伝えたいと考え、一般教養講座を定期開催しております。今回は10月に行われるイベント紹介の第3弾として、当日の講師のお一人である、能楽研究家の朝原広基氏の考えをご紹介いたします。
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2018年10月21日(日)第3回狂言のことばをみんなで読んでみる会 テーマ《仏師》

大衆に受け入れられていた貴重なもの(朝原氏コメント)

能は、大成者の世阿弥の時代から、”素人”が深いところまで参加していました。例えば聞書『申楽談儀』で世阿弥は「浮舟 是は素人横尾元久といふ人の作。節は世子付く」と語っています。

つまり《浮舟》という能は、専業役者ではない横尾元久が文章を書き、専業役者である世阿弥が謡い方(おそらく演じ方も)を付けて完成した、プロ・アマの合作でした。横尾元久は、室町幕府管領の細川氏に仕える武家だったようです。この《浮舟》は、今でも能の現行曲として演じられ続けています。

能は素人とプロの垣根をこえた合作のパフォーマンス

このように素人が能を作るほどに、能楽は演者と観客の距離の近い芸能でした。これらの観客たちの多くは、実技も多少は嗜んでいたかと想像できます。この点がテレビのような「向こう側」と「こちら側」がはっきり別れている芸能と大きく異なります。

そうして作られるのが、身分・立場を超えた「場の共有」です。この「場の共有」は能楽に限らず、歌会の和歌・連歌・茶の湯など中世芸能の特徴ではないでしょうか。

中世の人たちは、これらの芸能の持つ「場の共有」を、非日常の楽しみとするだけではなく、君臣や一門などの結束を固め、また外部の人間との交流のための具にもしていました。それが、政治や軍事などにも影響した部分もあるでしょう。

時代のギャップを埋める楽しいイベントになれば幸い

さて現在。室町時代は遠く700年前となってしまいました。文化・制度も変わっていますし、能や狂言には、今ではあまり使われない言葉が登場することも少なくありません。

しかし「狂言のことばをみんなで読んでみる会」では、まず私が背景や言葉について説明させていただくことで、関係あるところだけではありますが、700年の溝をまず埋めます。

その上で、題にある「みんなで読んでみる」、つまり河田さんと一緒に声を出して読むことで、現代において、狂言による「場の共有」を再現する、そんな催しとなっています。

能楽は受け身だともったいない!参加型イベントの一般教養講座

能・狂言は、正直なところ、不親切な芸能だと思います。ただ受動的に対峙して、楽しい芸能であるとは言いづらい点があります。私は、それは元々が「場の共有」を前提としていたからではないかと、最近考えています。

「共有」ということは、演者が提供側であり、観客はそれを受容する…という一方的な関係性ではありません。演者と観客が、互いに歩み寄りながら共に一つの場を作っていくものなのです。共有するためには、観客側にも能動的な参加が求められるのです。

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2018年10月21日(日)第3回狂言のことばをみんなで読んでみる会 テーマ《仏師》

今回は10月開催予定のイベントについて、講師のお一人である朝原氏のコメントを真花塾の吉川がご紹介いたしました。是非とも多くの方のご参加をお待ちしております。

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