講師ブログ

2018年4月30日

コミュニケーション, 受験, 講師ブログ, 進路指導

”なんとなく”の功罪

なんとなく、で難しい何かが達成できることはありません。

とりあえず、という軽い気持ちままでいつまでも進めるほど、ほんものの人生は簡単にはできていません。

例えばこんな風に。

「飲食店で専門的に働く仕事がしたいけど、とりあえず大学に行きたい。もしうまくいかなくて、その仕事になれなかったら困るから。…え、大学でどんな勉強するか?なんでもいい。なんとなく〇〇大学って決めてるけど・・・。」

私が、適当に決めるなら適当にしか指導できませんよ、と言って、いまの努力のままで入れる進学先候補を紹介すると、

「それは絶対いやだ」

と彼らは言います。このような生徒に限って、そのなんとなくの「〇〇大学」に入る勉強や努力はしません。
そして、本当にびっくりしてしまうのですが、その専門的な飲食の仕事に関する情報にも、興味を示しません。

「なんとなく」という安易な考えを続けることがいかに人のモチベーションを下げているのか、お分かりいただけると思います。

 

「もしうまくいかなかったときのために」というのも、腑に落ちません。私たちが生きるこの社会は、気づかないところで必ず皆が繋がっています。

「上手くいかないかもしれない」ことを前提にして、別の道に保険をかけて、成功したプロがいるでしょうか。

上手くいかせるための努力があってこそ、プロとして社会に必要とされるのです。

確かにイチローは、中学生のころから、もし野球で何か不測の事態があったら、と考えて、勉強も一生懸命にしたそうです。

ですが「野球がうまくいかなかったら」とは、思っていなかったはずです。あくまで万が一のケガや、引退が早まったときを想定してのことでしょう。

 

高校生も、最近では中学生や保護者の方でさえも、ただなんとなく大学生という肩書きを得たいだけとしか思えない発言が目立つように感じます。

こうなったら仕方がありません、保護者の方も巻き込んで、烈火のこどく叱り飛ばします。

この社会は繋がっています。身近な人間が指摘しないのならば、代わって誰かが叱らないといけないのです。

 

大学は本来、勉強をするために存在しています。勉強しないで、努力を避けておいて、入学できるわけはないのです。高額な授業料をかけて、ただ大学生の卒業証明を手に入れて振りかざしたいだけなのですか?

「やりたいことはまだ見つからないけど、でも大学で何か勉強したい。職業は、好きな大学、環境で、4年間勉強を頑張ってみて、それから決めます。だからいまは成績を上げたい、お願いします。」

と、堂々と明るく言える子は、必ず成功します。これが、本音で語るということです。

 

我々、塾講師は皆、「なんでも相談してね」と、もちろん声をかけます。

でも「愚痴を聞くよ」ということではありません。不安は一緒に解消します。飛躍しましょう。

 

上手くいくための方法を知りたいと感じたら、同時に「やり始めたら後には引かないぞ」という、強い気持ちが必要であることを、忘れないでください。