講師ブログ
2019年3月30日
吉田神社追儺式~冬から春へのプレリュード
節分は「季節を分ける」という意味です。
2月3日の節分がその翌日を「立春」とするのと同じように、それぞれの節分の翌日は「立夏」「立秋」「立冬」となります。
この吉田神社では、その節分の前夜に追儺(ついな)が行われていて、非常に多くの人でにぎわいます。この儀式は、別名「鬼やらい」ともいいます。
京都の冬といえば節分!とすぐに思いつく人も、とくに京都の方はたくさんおられます。
節分とは元来、中国で疫病や悪鬼を追い払う行事だったのが、日本の陰陽道と結びついたものだそうです。
(ちなみに大晦日に行われていました。)
それが徐々に民間の正月行事になり、現在のようになったとされています。
鬼はけっして悪の象徴としてだけではありません。たしかに疫病をあらわした鬼は存在していて、追い払われたり打ちのめされたりするのだが、なかには神や祖霊をあらわしたものもいて、その恐ろしさも「子どもを守る力強さ」を示すといいます。
さて、吉田神社の追儺式に話を戻しましょう。
登場人物は、方相氏とそれに付き従う小童たち、そして陰陽師と、もちろん疫鬼です。
鬼は赤・青・黄がいて、それぞれ「怒り」「悲しみ」「苦しみ」とあらわすのだそうです。
暴れまわる彼らは、人の心を映し出す存在なのですね。ふだんはどうしても避けて過ごしたい感情の具現。赤ちゃんでなくても大泣きしてしまいそうです。
最後に上卿以下殿上人が登場。桃の木でできた弓で葦矢を放ち、疫鬼たちを追い払います。
桃と鬼といえば・・・そう桃太郎!
桃は、イザナギが黄泉の国から地上に戻るため、追ってくる大勢の化け物たちから逃げる途中、
黄泉比良坂(よもつひらさか)で見つけた桃の木の実を投げつけて退治したという話もあります。
それほどに力を持つ桃。
桃太郎も、必然的に桃から生まれる運命を持った「悪いもの退治」のシンボルなのでしょう。
実は節分の豆も、もともとは桃の果実の役割でした(!)
イザナギは、化け物たちから自分を守ってくれた桃に「地上の世界で人々が困ったときにも助けてあげるんだよ」といいつけました。
それなら私たちもさっそく「桃まき」を・・・って、「冬の節分」じゃとってもムリだ・・・!
ということで、豆まきで使う豆も、ただのお豆さんじゃちょっと具合が悪い。
きちんと「桃が持つ力をこの豆たちに授けてください」と祈祷されたお豆が用いられます。
(もちろん各神社やお寺では、節分祭においてご祈祷された豆で豆まきをされています^^)
このように、節分は季節の分け目であり、もしかすると私たちにとっての「こころの分け目」であるのかもしれません。
いまは新年といえばもちろん1月で、旧暦の2月は学校でも「2月は逃げる」といわれるほどあっという間に過ぎるものと考えられがちです。
ですが、「節分」の本来の意味を知り、新しい年の始まりから1ヶ月を見つめなおしなどの”リスタート”として過ごすのもいいかもしれません。