古文カテゴリー記事の一覧です
2020年11月2日
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廬山寺〜紫式部の「眼」が見た人々と自己

京都御所の東側のそばにある廬山寺は、紫式部が『源氏物語』を執筆した場所として知られています。
紫式部は藤原為信を父に持ち、「学者肌の素朴で地道な生活」を送る家風の中で育ったといいます。また、幼い頃に母や姉を亡くしたこともあって、内省的な性格であったそうです。
また、当時漢籍は男性が身につけるべき教養でしたが、父為信は、式部の弟にそれを教えていたものの、そばで聞いていた式部のほうが理解が早かったので、「娘でなく男であったなら」と残念がったという逸話が残っています。
さて、誰もがよく知る光源氏が主人公のあの『源氏物語』は、まさに式部の代名詞です。「紫」式部と呼ばれるようになったのも、この物語の登場人物「若紫」に因んでいます。
『源氏物語』をめぐるエピソードは興味深いものが多いです。たとえば、実は光源氏のモデルとされる人物は6人ほどいます。
光源氏は、いわば彼らの魅力が結集したキャラクターなのです。なるほど、源氏が当時の男女誰もが憧れるスーパースターであるのもうなずけますね。
式部の「人々を観る眼」は非常に写実的かつ俗っぽく、くすっと笑えてしまうほどでです。『紫式部日記』には、ともに一条天皇の中宮彰子にお仕えする女房たちや、清少納言について、式部がどう捉えていたのかがよく分かる記述があります。
少しご紹介しましょう。
大納言の君は、いとささやかに、小さしといふべきかたなる人の、白ううつくしげに、つぶつぶと肥えたるが、うはべえはいとそびやかに、髪、丈に三寸ばかりあまりたる裾つき、かんざしなどぞ、すべて似るものなく、こまかにうつくしき。顔もいとらうらうしく、もてなしなど、らうたげになよびかなり。
「大納言の君は、とても小柄で、小さいといったほうがいい人で、色は白くかわいく、つぶらに肥えている人が、見た目にはとても体つきはすらっとしていて、髪は背丈に三寸(約9センチ)ほど余っている裾のようすや髪の生えぐあいなど、どれも類のないほど、すみずみまで行き届いて美しい。顔もとてもかわいらしくきれいで、振る舞いなども可憐で上品で穏やかだ。」
また、清少納言についてもこのように。少々長いですが、興味深いので引用します。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし。行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。
「清少納言はまさに得意顔でとても偉そうにしている人。あれほどかしこぶって漢字を書きちらしております程度も、よく見ると、まだとても足りない点が多いです。このように、人よりも特別でありたいと思ってそうしたがる人は、きっと見劣りがし、ゆくゆくは悪くなっていくだけですから、いつも風流ぶるようになった人は、とても寂しくて退屈なときでも、しみじみ感動しているようにふるまい、興あることも見逃さないうちに、自然とそうであってはならない不誠実な態度にもなるのでしょう。その不誠実になった人の行く末は、どうしてようことがありましょうか。いえ、きっとよくないはずです。」
紫式部がここまで辛辣であるのには、清少納言と同様に自身も漢籍の素養があったことや、内省的な自分と正反対のような清少納言の振る舞いに、大きく心が乱されたことが要因ではないかと思います。
ある特定の人に心乱され、嫌いまたは憎いという思いを抱くとき、その相手に自己を投影させていることがよくあるという話を聞いたことがあります。清少納言の人物像は、もちろん紫式部の書いたこの一節でのみ決まるものではありません。
むしろ、一貫して中宮定子と藤原道隆らの凋落を感じさせることなく、自身の「さかしだち」のエピソード以上に、定子の優しさと魅力をつづった『枕草子』からは、何一つ敬愛する女主人に寄せ来る現実の暗さを感じさせまいと覚悟に満ちている清少納言の表情が浮かぶようです。
紫式部は以上のように、周囲の女房たちについてあれこれと述べる一方で、理想的な「人(=女性)」の心持ちと振る舞いについて残しています。
様よう、すべて人はおいらかに、すこし心おきてのどかに、おちゐぬるをもととしてこそ、ゆゑもよしも、をかしく心やすけれ。
「すべて女というものは、見苦しくなく穏やかで、少し心持ちもゆったりして、落ち着いていることをまさに基本として、品位も風情も趣深く安心です」
現代においては、「人」は女性に限らず、男性も含めたすべての人にあてはまる理想像といえるでしょう。とはいえ、式部の言葉は、自分自身に向けた戒めにも似たもののように感じられます。
『紫式部日記』には、多くの場合「『源氏物語』の作者」とだけとらえられがちな彼女の、内面の葛藤や思いがこまかくつづられています。
その自身の複雑な思いに翻弄されまいと、必死に言葉を紡いだ彼女の憂いに満ちた表情は、清少納言が『枕草子』で見せる覚悟の顔つきにも似た、生きた人々の直面した苦悩や思いを伝えてくれます。
2020年7月3日
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城南宮~春の七草と源氏物語「若菜上」

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ
いわずと知れた「春の七草」です。
ここ城南宮では、毎年2月11日、つまり旧暦の1月7日に近くを「城南宮七草粥の日」として、参拝する人々は七草粥をいただくことができます。
春の七草をすらすらと言える人も、なかなか実際に七草すべてを目にする機会は多くないのではないでしょうか。
神前に供えられた七草は、どれも青々として瑞々しさにあふれています。一年の無病息災、延命長寿を願ってこれらの若菜を口にするという風習も、なるほどとうなずけます。
さて、この七草の風習は、『源氏物語』の若菜上の巻にも登場します。
源氏が四十歳を迎えた春、源氏の養女であり、髭黒の大将の正妻となった玉鬘が、源氏に若菜を贈ります。
正月二十三日、子の日なるに、左大将殿の北の方、若菜まゐりたまふ。かねて気色も漏しらたまはで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、え諫め返しきこえたまはず。忍びたれど、さばかりの御勢なれば、渡りたまふ儀式など、いと響きことなり。
正月二十三日、その日は子の日なので、左大将殿の北の方(玉鬘)は若菜を差し上げなさる。前もってそのようなそぶりもお見せにならないで、たいそう内密にご準備なさっていたので、突然のことで、それをとがめてご辞退することもおできになれない。内々ではあるが、あれほどのご威勢なので、ご訪問の儀式などは、とても盛大なものだった。
「若菜まゐりたまふ」には「若菜をまゐりたまふ」と格助詞「を」が省略されていますね。さらに、「まゐり」は動詞「参る」の連用形。「参る」は「差し上げる」という意味です。
このように、正月の最初の子の日には、小松を引いたり若菜を摘んだりして、長寿を祈る風習がありました。
若菜とは、食用や薬用になる春の草のことです。いわゆる七草だけでなく、あざみ、さち、せり、わらび、なずな、あおい、よもぎ、たで、すいかん、しば、すずななどの新菜で、食べると若返るとされていました。
このときの源氏のようすは、このように書かれています。
いと若くきよらにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやとおぼゆるさまの、なまめかしく人の親げなくおはします・・・
(源氏は)とても若く気品があって美しく、このように四十の御賀なとということは、年の数え間違いではないかと思われるお姿で、若々しく、子どもがいる親ようには見えないほどでいらっしゃる・・・
さて、受験古文で「重要単語」とされる言葉がいくつかあることに、お気づきでしょうか。
清らなり、ひが〜、覚ゆ、なまめかし、おはします。この機会にぜひ辞書を引いてみてください。現代語とのちがいや、「予想してた意味とはこう違うんだ!」という楽しい発見が、きっとできるのではないかと思います。
この城南宮の「楽水苑」には、源氏物語に登場する花が数多く植えられています。
それというのも、城南宮のあたりは、平安時代後期には院政の拠点である鳥羽離宮が建てられました。白河上皇が光源氏の、四季の庭を備えた絢爛豪華な邸「六条院」に触発されて城南宮の造園を行ったことに、ちなんでいるのだそうです。
『源氏物語』は、多くの人にとって、高校生になって初めて本格的に学ぶものであると思います。高校生になると、古文はすっかり「暗記科目」とほぼ同じ状態になりがちです。
たしかに、作品知識、ことば、文法、和歌、そしていわゆる古文常識・・・。知っておかなければいけないことは山ほどあります。もちろん、源氏物語を学ぶときも同じです。
うぅー覚えることだらけで嫌になっちゃいそう!
イメージが湧かなくてつまらない!
そんなときこそ、ぜひこの城南宮を訪れてみていただきたいと思います。
私も若かりし頃、この神苑を歩きながら「あ、国語便覧で見た遣水ってこれのことか!」と感動したものです。
さらに、「源氏物語の巻名を『桐壺』から『夢の浮橋』まで全部言える」と自慢してくる友達に負けじと、「せーの」で「桐壺」から須磨」あたりまで頑張ってついていったこともよく覚えています。
人は、とくに子どものころや若いころに体験したこと、感動したことは、そう簡単に忘れ去ることができません。皆さんの心のどこかにひっそりとずっと残っていて、ここぞというときにパァっと蘇ってきます。
当然、七草粥の日に若菜を目にすることも、それを味わうことも、きっと皆さんの貴重な体験の一つになりますよ。
2020年3月22日
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三井寺〜夢応の鯉魚(上田秋成『雨月物語』より)鯉魚とすべての生あるものの叫び

三井寺(園城寺)は京都からは地下鉄と京阪電鉄を乗り継いで、小旅行気分を味わいつつもとてもスムーズに訪れることができます。
いまではなんといっても、多くの映画やドラマのロケ地として知られ、本来の寺院としての楽しみ方に、またちがった味わいも感じられる場所ではないかと思います。
今回も真花塾の頼れる女子大生カメラマンの力を借りて、紅葉の季節に三井寺のさまざまな美しい場所をめぐることができました。三井寺にまつわる“古典”について掘り下げていきます。
■三井寺に残る”伝説”
三井寺には広大な境内に、たくさんの文化財だけでなく、さまざまな伝説が残っています。
たとえば、
・秘仏であるご本尊
・弁慶の引き摺り鐘
・ねずみの宮と頼豪阿闍梨
などです。
さらに“伝説的”なものとして、三井寺の興義という僧侶が魚となって不思議な体験をしたというお話が書かれている『雨月物語』の「夢応の鯉魚」が挙げられるのではないかと思います。
興義は、詳しいことは分かっていませんが、画家として有名な実在の人物なのだそうです。なお、「夢応の鯉魚」の主人公は、作者である上田秋成と同じ時代を生きた、べつの大阪の画家がモデルであるという説もあるようです。
■『雨月物語』より「夢応の鯉魚」のあらすじ
三井寺の興義は、絵が非常にうまいことで評判の僧侶です。琵琶湖に小舟を出して、漁師から買った魚をすぐに水に放して、その泳ぐさまを絵に描くこともありました。
また、魚で遊ぶ夢を見て目覚めるやいなや、すぐにそのさまを絵に描いて「夢応の鯉魚」と名前をつけて、それを人にあげていました。
あるとき興義は病気で急死してしまいますが、その三日後に蘇生して、檀家の一人にある話を始めます。
それは、自分が死んでからの話。彼は夢を見ていたというものでした。
興義は一匹の鯉に生まれ変わっていたのです。
水の中を泳ぎ回っているときの様子、そして漁師に釣り上げられ、その檀家の家で膾にするために料理される(つまり人間によって殺される)ことになって、命を取られるまさに寸前で、目が覚めたのだと。
とくに私たちに強烈な印象を残すのは、興義が鯉としての楽しみを謳歌していた一方で、海神からのこのような詔を聞いていたにもかかわらず、欲望に負けて釣り針にかかり、殺される恐怖が描かれるくだりではないでしょうか。
海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今、江に入て魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせた給ふ。只餌の香ばしき昧まされて釣りの糸にかかり身を亡ふ事なかれ・・・
生前の放生の功徳により、
かねてからの「魚になって悠々と泳ぎたい」という望みをかなえてあげよう。
でも、餌のかんばしい香りに目が眩んで、
釣り糸にかかって身を滅ぼしてはいけないよ・・・
興義は「自分は仏の弟子である。たとえ食べ物がなくても、魚の餌などどうして食べることができるだろうか、いや、そんなはずはない」と思い、また泳ぎ始めます。
突然、ひどい空腹を感じてきました。どうしようもなく狂うように泳ぎ回っているうち、知り合いの漁師が釣りをしているのに出会いました。
そして、餌を食べても捕まりはしない、それに自分の知り合いの漁師なのだから気にするまでもない、と考えてついに餌を飲み込んでしまいました。
こうして、釣り上げられた興義は慌てふためき、漁師に向かって叫びます。
こはいかにするぞ
でも、まったく届くことがありません。そのうちに、檀家の家へと運ばれました。
そこで、宴会に集まる人々に向かって
旁らは興義をわすれ給ふか。ゆるさせ給へ。寺にかへさせ給へ
としきりに叫んでも、彼らにも聞き入れてもらえない。とうとう漁師人によってまな板に乗せられたとき、刀が目に入ります。
仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよ
泣き叫ぶ興義。とうとう切られる!・・・そこで目が覚めたのです。
この話を聞いた人々は、そういえばあの魚は、声はしなかったが口をぱくぱくさせていたなと思い出し、膾の残りを湖に捨てることにしました。
■興義のその後
興義はその後天寿を全うし、臨終のときには、自分が描いた鯉の絵を湖に散らしました。絵のなかの鯉は紙を抜け出して水中に泳いだため、興義の絵は今に残されていないのだとか。
僧侶にもかかわらず生への執着を捨てられず、最期のときに自分を「仏弟子」だと言って泣き叫ぶ。それを傲慢な人だ、僧侶らしくない、まるで普通の人間と同じである。
これが「夢応の鯉魚」です。
直接三井寺が出てくるのではありませんが、三井寺の興義のこの不思議な物語は、真に迫ってくるものがあります。魚の叫びは、いわば生あるものすべての叫びです。
■琵琶湖周辺の美しい景色と和歌的な言葉の数々
ちなみに、この物語には、琵琶湖周辺の地名や歌枕がたくさん出てきます。魚となって泳ぎ回る興義が、昼に夜に見た美しい景色を、和歌の修辞を通してより立体的に感じられます。
長等の山、志賀の大湾、比良の高山。さらに、沖津嶋山、竹生嶋、伊吹の山風、そして瀬田の橋・・・。
琵琶湖へは、関西圏の人にとってはアクセスも便利ではありますが、このように古典文学を通して、ココロのプチ旅行をしてみるのも、とても面白いものですね。
2020年3月12日
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入塾手続きの前に知っておきたい!”個別指導”とは

「うちの子、“こんな感じ”なので、やっぱりどうしても集団塾よりも個別指導じゃないとと思いまして・・・」
大学受験を目指し、このように受講希望されるのは高校生ばかりではありません。中学生も増えています。
古典特化のオンライン授業を行う当塾において、中学生さんの場合は、やはり保護者の方がホームページをご覧になって、お問い合わせくださるというケースがほとんどです。
とはいえ、中学生のみなさんもいつか必ず高校生となる日が来ます。そして、大学受験を目指される日が来るでしょう。
ですから、中学生の方はすべて高校0年生と思って接しております。
お電話で、お子様についてお聞かせていただくと、小学校のときのお勉強の好き嫌いや、得意だったことなどが分かります。中学受験のときのがんばり、学校の先生にほめられたこと、家庭教師の先生によく注意されたことなど・・・。
それらはすべて、ご本人にとって成長の証であり、強烈な記憶となって「いま」を作っています。
同じように、保護者の方にとっても、お子様の「成功」の体験や、反省に迫られた経験は強く残っておられることと思います。
その積み重ねで「やっぱり個別指導でないと伸びない、合わない」というご判断をなさり、お問い合わせにつながることはよくあります。
ただ、もし本当に「集団指導が合わないから」という理由のみの場合は、「個別」に絞られる前に、少しお子様と話し合っておいていただきたい点がございます。
それは、原則、個別指導のほうが“断然厳しい”ということ、そして“自分で自分を変えていこうとしない生徒さんにとっては、その指導が逆効果になる可能性がある“という現実です。
個別指導は、指導する先生と生徒さんの距離が、物理的にも精神的にも近いものです。
その分生徒さんの、勉強へのマイナスの感情や甘えも、ストレートに先生に伝わります。それらは無意識的なだけに、とてもデリケートな問題になりがちです。
つまり、勉強についての、きめこまかな指導を望まれての受講であると同時に、「勉強のレベルアップのための努力」の枠を超えて「生徒さん自身の人間的な成長」を強く求められるのが、個別指導なのです。
たとえば、このような場合が重なると、どうしても健全なコミュニケーションは難しくなっていきます。すれ違いが大きくなれば、当然指導の効果も薄れます。
■添削や教材データを受け取ったときに「受け取りました」というレスポンスや「ありがとうございます」という気持ちを言葉にして伝える習慣がない
■授業時間にことわりなく遅刻しても「すみません、実は・・・」と説明することができない
■しょっちゅう忘れ物をする
■授業中に電話が鳴ったときに、ことわりなく当たり前のように電話に出てしまう
■授業をさえぎって学校の先生の悪口を言い続ける、友達や家族の話を延々とする
■志望校を相談なしにコロコロと変え、指導のながれを断ち切り続ける
■いつでもどんな場合でも「先生が生徒の個性に合わせてくれるのが“個別指導”だ」と思い込んでいる
など。
集団塾なら、無理に自分から担当の先生に言葉をかける必要はありません。配られたプリントなどは黙って受け取ってももちろん構いませんし、遅刻などで叱られたときは「すみません」と言えばそれ以上の追及はなく、自分で事情説明するのを迫られる必要もないのかもしれません。
いい意味で「先生とほどほどの距離感でつきあう」ことができるのです。
でも、個別指導では、先生と生徒が真っ正面から向き合い、互いのエネルギーをやりとりしながら時間を過ごします。
そんなとき、健全なコミュニケーションが取れなければ、当然叱ることになります。
成績と直接関係のない部分で、先生は良くない点を指摘し、人としての成長を促しながら、生徒さんが「なぜ自分は受講して、どんな結果を望むのか」という本来の目標と向き合ってくれるように導かなくてはなりません。
その時間は、パッと見では勉強の指導と関係ありません。ですが、志望校合格のための指導には不可欠です。
それを「厳しくきめこまやかな指導」と受け取るか、それとも「キツい指導、余計な声かけ、しつこいやり取り」ととらえるのか・・・それは生徒さん本人と保護者の方の価値観しだいです。
いざ入塾してから「こんなはずではなかった」と感じながら、自分に合わないと言い出せずに受講なさることになってしまっては、その時間はご本人にとって大きな損失です。そうなる前に、ご入塾を検討されている段階で、ご家族でよく話し合ってください。
個別指導は、けっして「集団塾についていけないから選ぶ」ものではありません。
「自分の目標に向かってがんばりたい、そのために先生としっかり向き合いながら、きめこまやかな指導をうけたい」と思える生徒さんを、きっとどの個別指導の先生も待っています。
”超・個別指導”のオンライン塾である真花塾では、塾長自らが責任を持って、一人ひとりとまっすぐに向き合います。そして、皆さんにとって何よりも大きな幸せである「志望校合格」のための指導をします。
さらに、私が生徒さんや保護者の方に書くメールやLINEは、だいたい長文です。指導の意図をご家族みなさんで共有していただけるよう、言葉を尽くします。
課題の提出が滞る場合は、生徒さんを叱るよりも前に「なぜできなかったのか」をともに話し合い、同じことが二度と起きないように、課題の出し方を工夫し、その分だけご本人の創意工夫も引き出します。
これが“超・個別指導”のキャッチコピーにこめた信念であり、塾としての覚悟です。
いま、なぜ個別指導にご興味を持たれたのか。
これからご本人としてもご家族としても、どのように変わっていきたいのか。
私といっしょに、その対話を重ねて、その答えを見つけてみませんか。
2019年11月22日
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“また塾に通おう”も大歓迎!高3国語7月記述模試 学年1位になれる古典勉強のヒミツ

無事に高校合格した直後の生徒たちは、入学先の高校からしっかりと宿題を出されます。本当にお祝いモードで遊べるのは、ほんのわずかな時間のみ。高校進学は“勉強するために自分で選んだ進路なのだ”と、いきなり再確認させられます。
さらに、入学後もやるべきことが盛りだくさん。週末課題、提出する問題集、授業の宿題と予習と復習。さらには小テストの勉強もあります。
このように、毎日求められる標準的な勉強時間が、中学生だったころよりも格段に長くなります。プラスして部活動やアルバイトをしたり、友達や家族と遊びに行きたいとなると、もう一日が24時間じゃとても足りない!
ですから、もちろん新高1生のときからしっかりと「将来の大学受験生」のつもりで勉強を続けるほうがいいのです。大学受験は“全国大会”です。通っていた中学校、合格した高校の仲間と比べて満足していても、それが本当に大学受験で通用する力であるとは言い切れません。
・・・と、急に脅すようなことを言ってみました。
いま高2生、高3生の皆さんは、「そんなこと言われてももう時間は戻らない。手遅れなのか・・・?!」と、焦りにふるえているかもしれませんね(笑)でも大丈夫。
「もう一度塾に通おう」「このままじゃアブナイからちゃんと勉強しなくちゃ!」と、自分からやろう!と決めて塾を探そうとしている人は、起死回生ができる素質をちゃんと持っています。あとは、いまのこの思いをしっかりと努力に昇華させることです。
■高2の2学期で「また塾に通おう」と決めたKさん
彼女とは、中学生のときに高校受験勉強をいっしょにしました。晴れて、あこがれの進学校に合格して、そのまま卒塾。でも、暗記は得意だけど、記述問題を解答するのには不安がある生徒さんでした。
高2の2学期に、また塾に戻ってきてからは、徹底して学校の授業の予習と宿題サポート、テスト対策を行い、3学期から本格的に受験対策を開始しました。高3の7月の模試では、国語の校内順位が1位になりました!そんな彼女にちょっとインタビューです。
質問1)また塾に通おうと思ったきっかけは?
Kさん:だんだんと行きたい大学や学部がみえてきた高2の夏休みに、ふと「このままでは絶対受からない!」と思って、また先生に教えてもらおうと決めて、親にお願いしました。アルバイトもしていたし、高1のときは学校の授業も、板書をテキトーに丸写しして丸暗記していただけでめっちゃ成績も悪かったけど、ちゃんと教わりたいと思いました。
質問2)復塾する前と、勉強の取り組み方は変わりましたか?どんなことに気をつけましたか?
Kさん:現代語訳の丸暗記をやめて、先生に言われた品詞分解をしっかりやるように変えました。そしたら、学校で配られた訳文の意味と文法がよくわかるようになって、勉強のやり方がわかりました。どんな文も全部品詞分解するのって、慣れるまでは時間がかかりましたけど、きっちり絶対やるんだといつも先生が言ってくれたのでできました!
質問3)進学校である高校校内で国語が学年1位になりましたね!
kさん:はい!めっちゃうれしかったです。その模試の成績票はお母さんにすぐに見せました(笑)あと、自分は関西の難関私立大学に行くと決めたんですが、古文で自信がついてきたので、英語、世界史や現代文の勉強時間を長く取れるようになって、ほっとしました。
彼女の大学受験勉強もあと数か月。いまでは、安定した古文を武器に、他科目にもバランスよく時間をかけつつ、より志望大学の問題傾向に合わせた演習に力を入れています。がんばれ、目指すゴールまであともう少し!!
※ここまでお読みいただいた方のなかには、「なんだ、品詞分解なんて当たり前じゃないか」「なんにも特別なヒミツや裏技でもないじゃないか」と感じられる方もおられるかもしれません。
そうです、おっしゃるとおり、なんにも特別なことはしていません。
でも、品詞分解を本当におろそかにしたまま「精確な訳文」に「内容理解」ができるものではありません。
私たちが「ふだん現代文読解において品詞分解をしない」のは、それはほとんどの皆さんにとって現代語が母国語であるからです。でも、古文はそうではありませんよね。まずは語彙と文法、古典常識にのっとって正確に解釈できるよう、当たり前のことを当たり前に行い、続けることが何よりも大切です。
Kさん:あ、先生、もうちょっと言いたいことがあるんですけどいいですか?
お、はいどうぞ^^。
Kさん:自分にとってめちゃ“特別”と思ったこと、ありますよ!先生の辞書の引き方とか見方と、文法書の使い方と国語便覧の使い方とか、教えてもらって参考になりました。あんなふうにちゃんと使ったことってなかったから。すごいと思いました!
ありがとう。そうですね。せっかく受験勉強のいい“道具”を持っているのに、正しく効果的に活用しないと成績には結びつきません。ちゃんと調べる、ちゃんと使いこなすという姿勢は、自分から積極的に楽しみを持って、迷いなく勉強できる訓練につながっていきますね!
さぁ、“またあらためて塾を探している”という迷えるアナタや“とにかく今より古文ができるようになりたい”と心から願っているアナタ、お気軽にお問合せください。
塾長ヨシカワが心をこめてお待ちしています!
2019年6月28日
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夏休みだからこそ場所を選ばない動画添削!

こんにちは!真花塾塾長ヨシカワです。
今年の関西の梅雨入りは、ついこのあいだ。いよいよこれから本格的に雨が続きます。
夏休みの大敵はなんといっても豪雨に台風。
急な警報や交通機関の乱れにより、学校だけでなく塾も休講にならざるを得ないこともあります。やった休みだ!と思えるのは、はじめのほんの一瞬だけ。とくに大学受験生にもなると、とても複雑な思いを抱えます。
■あー授業の進度が遅れちゃう。小テストの日程も変わるなぁ。
■家で頑張るったって、いつもは自習室にいるから家でやる習慣がない。どうしたらいいんだろう。
■振替授業っていつになるんだろう。早く決まらないかなぁ。
私がこの真花塾を、京都市内で開いた対面形式の塾からオンライン塾にリニューアルし、いちばん安堵したのはこれら皆さんの抱える葛藤の解決が図れたことです。
■ネット環境さえあれば家も「最高の勉強場所」になる
■youtube動画やLINEメッセージで、心配なときもリアルタイムに「勉強面を」励ますことができる
※もちろん定期的なzoomによる授業や面談も。
これらはごくシンプルなことですが、私がいちばん大切にしていることは「勉強面」を励ますことです。
ある超一流といわれたプロ野球選手の名言に、「仕事のストレスは仕事で発散する」というのがあります。
受験生ならば「勉強のストレスは勉強で発散する」というレベルに持っていけば最強です。
安易な気分転換につきあってしまったり、こちらがのんきに雑談や愚痴をきいてしまっているうちは、彼らはほんものの受験生にはなれません。
よく「実際に会ったこともないのに」「画面ごしのコミュニケーションなのに」と、ネット指導のデメリットを挙げられることがあります。そのとおり、まさにおっしゃるとおりです。
でもだからこそ、私は対面で授業をするときの5倍のエネルギーを意識して、彼らに動画とメッセージを送り続けています。たとえ「なにも連絡をしない」日も、彼らのことを忘れたことはありません。
一人ひとりに合った、踏み込むべきタイミングを見極めたり、ここぞ!と思うときに声をかけたり、彼らが自分から課題を送ってきたり、連絡をくれるのを待っています。
もうすぐ夏休みです。高3生は一日12時間の勉強に挑ませなければなりません。そんなとき「家では集中できないから塾をずっと開けてほしい」と願い出る受験生もいるそうです。でもそれが果たして現実的なのか、本当の意味で受験生にとって有益なことなのか、大人の立場としてはやはり疑問に感じます。
それに、どれだけ要望に応じようとしても、悪天候になってしまえば身の安全が先です。ではどこでかんばるか?そういった意味でも「家でできる」生徒になってほしい。
いい意味で「ひとりでも大丈夫」と言える自信をつける夏休みを過ごし、ますます勉強内容もそれに向き合う姿勢も、ほんものを目指して高めていってほしいと思います。