学びカテゴリー記事の一覧です

2020年4月27日

Q&A, コミュニケーション, ネット塾, 動画添削, 受験, 古文, 塾サポート, 大学受験, 学び, 学校の課題, 講師ブログ, 進路指導, 高1, 高2, 高校部

“あなたのためだけ”の動画添削を受けるその前に【高校生指導Q&A vol.21】

こんにちは。真花塾塾長の吉川です。2020年4月現在、オンライン授業が普及し、自宅にいながらにして勉強に集中できる環境がめざましく整いつつあります。

大学受験合格を目標とする場合だけでなく、不安なく学校の勉強の予習や宿題の質問をしたいみなさんにとっても、オンラインは強い味方になってくれます。

真花塾では、オンラインで顔を合わせて授業をするのは、実は「オプション」となっています。メインは動画添削です。講師はあなたのためだけに動画を作ります。学校の宿題、学校内容、そして本当に必要な大学受験サポートは、あなたのために作った動画での解説と声かけが一番だと考えています。

みなさんにとっては、YouTubeといえば気分転換や遊びのものという意識があるかもしれませんね。実際YouTubeで「勉強」と検索してみると、ルーティン動画や勉強のしかたについての動画が多いです。

ただ、興味深くてためになる情報はたくさんあっても、いま本当に自分が知りたいと思っている勉強単元についてや、宿題内容の解き方についての動画はなかなか見つからないのではないでしょうか。そんなときにも、大学受験指導のプロの手による動画添削があれば大丈夫。

ここで、おっ動画添削ってなんかすごそう!と思ったあなた、ここで少し一緒に確認させていただきたいことがあります。

1)勉強はあなたにとって大切なものですか

“あったり前じゃないか!だってテストもあるし受験もある。大切に決まってるじゃん!”

そうですね。中学生高校生のみなさんにとって、学校生活はいまある人生そのものです。

ただし、その「当たり前」を本当に心から、みなさん自身が望む必要があることを忘れないでください。まして動画添削は、講師がみなさんのそばで「ペンを持って書けているか」「解説にしっかりと耳を傾けているか」という確認はできません。

いくらいい勉強環境を手に入れたとしても、実際に行動するのはあなた自身です。自分自身で勉強の高みに上ろうとしているのだという強い思いと誇りをいつも心にとどめましょう。それが必ずホンモノの自信につながります。

★「大学くらい出ないといけないと家族に言われたから」「〇〇大学くらい出ないと就職がないから」というちっぽけな思い込みにとらわれている方は、もう一度よく「自分の勉強する意味」を考え直してから、ご受講を開始してください。大学は高度な学問を追及するところです。「いいところに就職するための保証機関」ではけっしてありません。

2)講師からのコミュニケーションにていねいに応えられますか

LINEやメールは好きですか。3文以上のメッセージも最後まで集中して読めますか。私たち大人が、若い皆さんにぜひ身につけていただきたいのは、文字を使ったメッセージに強くなれることです。

あなただけの添削動画は、LINEまたはメールでお届けします。また、皆さんからの質問や課題の提出もやはりLINEかメールです。

とても不思議なことなんですが、文字によるコミュニケーション(や画面を通したコミュニケーション)は、直接会ってお話しするときよりも、人の“よくない面”を如実に映し出してしまいます。こういった意味では、直接会って講師から授業を受けるほうが何倍も「優しい指導」になるでしょう。

例えば、このような場合、皆さんが自分で思っている以上に、講師への印象は悪くなります。(何回もすれ違いを重ねた結果、指導に支障をきたし、ともに勉強をつづけることが難しくなることもあります。)

・課題や質問を提出するときに「お願いします」と文字で伝える習慣がない

・動画や解答を受け取ったときに「ありがとうございます」と文字で伝える習慣がない

・講師からの「さきほどの説明で納得できますか(わかりますか)」というメッセージに返事しない

・提出期限に遅れたときに「遅くなってすみません。実は・・・」と事情を説明することができない

・電話連絡やオンライン面談の、いちど話し合って決めた日時を何度も変更する。または約束の時間をすっかり忘れている。

★デジタルツールを使いこなすのは人間です。画面の中のつながりであっても、講師はいつもがんばるあなたのことを気にかけ、常に準備をしています。この、ごく当たり前の現実に気づけない皆さんではないはずです。ともに志望大学合格に向けて歩むための、ゆるぎない信頼関係を構築していけたらと心より願います。

2020年3月22日

古文, 古文を訪ねる, 学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

三井寺〜夢応の鯉魚(上田秋成『雨月物語』より)鯉魚とすべての生あるものの叫び

三井寺(園城寺)は京都からは地下鉄と京阪電鉄を乗り継いで、小旅行気分を味わいつつもとてもスムーズに訪れることができます。

いまではなんといっても、多くの映画やドラマのロケ地として知られ、本来の寺院としての楽しみ方に、またちがった味わいも感じられる場所ではないかと思います。

今回も真花塾の頼れる女子大生カメラマンの力を借りて、紅葉の季節に三井寺のさまざまな美しい場所をめぐることができました。三井寺にまつわる“古典”について掘り下げていきます。

■三井寺に残る”伝説”

三井寺には広大な境内に、たくさんの文化財だけでなく、さまざまな伝説が残っています。

たとえば、
・秘仏であるご本尊
・弁慶の引き摺り鐘
・ねずみの宮と頼豪阿闍梨
などです。

さらに“伝説的”なものとして、三井寺の興義という僧侶が魚となって不思議な体験をしたというお話が書かれている『雨月物語』の「夢応の鯉魚」が挙げられるのではないかと思います。

興義は、詳しいことは分かっていませんが、画家として有名な実在の人物なのだそうです。なお、「夢応の鯉魚」の主人公は、作者である上田秋成と同じ時代を生きた、べつの大阪の画家がモデルであるという説もあるようです。

■『雨月物語』より「夢応の鯉魚」のあらすじ

三井寺の興義は、絵が非常にうまいことで評判の僧侶です。琵琶湖に小舟を出して、漁師から買った魚をすぐに水に放して、その泳ぐさまを絵に描くこともありました。

また、魚で遊ぶ夢を見て目覚めるやいなや、すぐにそのさまを絵に描いて「夢応の鯉魚」と名前をつけて、それを人にあげていました。

あるとき興義は病気で急死してしまいますが、その三日後に蘇生して、檀家の一人にある話を始めます。

それは、自分が死んでからの話。彼は夢を見ていたというものでした。

興義は一匹の鯉に生まれ変わっていたのです。

水の中を泳ぎ回っているときの様子、そして漁師に釣り上げられ、その檀家の家で膾にするために料理される(つまり人間によって殺される)ことになって、命を取られるまさに寸前で、目が覚めたのだと。

とくに私たちに強烈な印象を残すのは、興義が鯉としての楽しみを謳歌していた一方で、海神からのこのような詔を聞いていたにもかかわらず、欲望に負けて釣り針にかかり、殺される恐怖が描かれるくだりではないでしょうか。

海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今、江に入て魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせた給ふ。只餌の香ばしき昧まされて釣りの糸にかかり身を亡ふ事なかれ・・・

生前の放生の功徳により、

かねてからの「魚になって悠々と泳ぎたい」という望みをかなえてあげよう。

でも、餌のかんばしい香りに目が眩んで、

釣り糸にかかって身を滅ぼしてはいけないよ・・・

興義は「自分は仏の弟子である。たとえ食べ物がなくても、魚の餌などどうして食べることができるだろうか、いや、そんなはずはない」と思い、また泳ぎ始めます。

突然、ひどい空腹を感じてきました。どうしようもなく狂うように泳ぎ回っているうち、知り合いの漁師が釣りをしているのに出会いました。

そして、餌を食べても捕まりはしない、それに自分の知り合いの漁師なのだから気にするまでもない、と考えてついに餌を飲み込んでしまいました。

こうして、釣り上げられた興義は慌てふためき、漁師に向かって叫びます。

こはいかにするぞ

でも、まったく届くことがありません。そのうちに、檀家の家へと運ばれました。

そこで、宴会に集まる人々に向かって

旁らは興義をわすれ給ふか。ゆるさせ給へ。寺にかへさせ給へ

としきりに叫んでも、彼らにも聞き入れてもらえない。とうとう漁師人によってまな板に乗せられたとき、刀が目に入ります。

仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよ

泣き叫ぶ興義。とうとう切られる!・・・そこで目が覚めたのです。

 

この話を聞いた人々は、そういえばあの魚は、声はしなかったが口をぱくぱくさせていたなと思い出し、膾の残りを湖に捨てることにしました。

■興義のその後

興義はその後天寿を全うし、臨終のときには、自分が描いた鯉の絵を湖に散らしました。絵のなかの鯉は紙を抜け出して水中に泳いだため、興義の絵は今に残されていないのだとか。

僧侶にもかかわらず生への執着を捨てられず、最期のときに自分を「仏弟子」だと言って泣き叫ぶ。それを傲慢な人だ、僧侶らしくない、まるで普通の人間と同じである。

これが「夢応の鯉魚」です。

直接三井寺が出てくるのではありませんが、三井寺の興義のこの不思議な物語は、真に迫ってくるものがあります。魚の叫びは、いわば生あるものすべての叫びです。

■琵琶湖周辺の美しい景色と和歌的な言葉の数々

ちなみに、この物語には、琵琶湖周辺の地名や歌枕がたくさん出てきます。魚となって泳ぎ回る興義が、昼に夜に見た美しい景色を、和歌の修辞を通してより立体的に感じられます。

長等の山、志賀の大湾、比良の高山。さらに、沖津嶋山、竹生嶋、伊吹の山風、そして瀬田の橋・・・。

琵琶湖へは、関西圏の人にとってはアクセスも便利ではありますが、このように古典文学を通して、ココロのプチ旅行をしてみるのも、とても面白いものですね。

2020年3月12日

Q&A, コミュニケーション, ネット塾, 中学部, 保護者サポート, 動画添削, 受験, 古文, 大学受験, 学び, 漢文, 講師ブログ, 進路指導, 面談, 高校部

入塾手続きの前に知っておきたい!”個別指導”とは【高校生指導Q&Avol.19】

「うちの子、“こんな感じ”なので、やっぱりどうしても集団塾よりも個別指導じゃないとと思いまして・・・」

大学受験を目指し、このように受講希望されるのは高校生ばかりではありません。中学生も増えています。

 

古典特化のネット添削&ネット授業を行う当塾において、中学生さんの場合は、やはり保護者の方がホームページをご覧になって、お問い合わせくださるというケースがほとんどです。

とはいえ、中学生のみなさんもいつか必ず高校生となる日が来ます。そして、大学受験を目指される日が来るでしょう。

ですから、中学生の方はすべて高校0年生と思って接しております。

 

お電話で、お子様についてお聞かせていただくと、小学校のときのお勉強の好き嫌いや、得意だったことなどが分かります。中学受験のときのがんばり、学校の先生にほめられたこと、家庭教師の先生によく注意されたことなど・・・。

それらはすべて、ご本人にとって成長の証であり、強烈な記憶となって「いま」を作っています。

 

同じように、保護者の方にとっても、お子様の「成功」の体験や、反省に迫られた経験は強く残っておられることと思います。

その積み重ねで「やっぱり個別指導でないと伸びない、合わない」というご判断をなさり、お問い合わせにつながることはよくあります。

 

ただ、もし本当に「集団指導が合わないから」という理由のみの場合は、「個別」に絞られる前に、少しお子様と話し合っておいていただきたい点がございます。

それは、原則、個別指導のほうが“断然厳しい”ということ、そして“自分で自分を変えていこうとしない生徒さんにとっては、その指導が逆効果になる可能性がある“という現実です。

 

個別指導は、指導する先生と生徒さんの距離が、物理的にも精神的にも近いものです。

その分生徒さんの、勉強へのマイナスの感情や甘えも、ストレートに先生に伝わります。それらは無意識的なだけに、とてもデリケートな問題になりがちです。

 

つまり、勉強についての、きめこまかな指導を望まれての受講であると同時に、「勉強のレベルアップのための努力」の枠を超えて「生徒さん自身の人間的な成長」を強く求められるのが、個別指導なのです。

 

たとえば、このような場合が重なると、どうしても健全なコミュニケーションは難しくなっていきます。すれ違いが大きくなれば、当然指導の効果も薄れます。

■添削や教材データを受け取ったときに「受け取りました」というレスポンス「ありがとうございます」という気持ちを言葉にして伝える習慣がない

■授業時間にことわりなく遅刻しても「すみません、実は・・・」と説明することができない

■しょっちゅう忘れ物をする

■授業中に電話が鳴ったときに、ことわりなく当たり前のように電話に出てしまう

■授業をさえぎって学校の先生の悪口を言い続ける、友達や家族の話を延々とする

■志望校を相談なしにコロコロと変える

■いつでもどんな場合でも「先生が生徒の個性に合わせてくれるのが“個別指導”だ」と思い込んでいる

など。

 

集団塾なら、無理に自分から担当の先生に言葉をかける必要はありません。配られたプリントなどは黙って受け取ってももちろん構いませんし、遅刻などで叱られたときは「すみません」と言えばそれ以上の追及はなく、自分で事情説明するのを迫られる必要もないのかもしれません。

いい意味で「先生とほどほどの距離感でつきあう」ことができるのです。

 

でも、個別指導では、先生と生徒が真っ正面から向き合い、互いのエネルギーをやりとりしながら時間を過ごします。

そんなとき、健全なコミュニケーションが取れなければ、当然叱ることになります。

成績と直接関係のない部分で、先生は良くない点を指摘し、人としての成長を促しながら、生徒さんが「なぜ自分は受講して、どんな結果を望むのか」という本来の目標と向き合ってくれるように導かなくてはなりません。

その時間は、パッと見では勉強の指導と関係ありません。ですが、志望校合格のための指導には不可欠です。

それを「厳しくきめこまやかな指導」と受け取るか、それとも「キツい指導、余計な声かけ、しつこいやり取り」ととらえるのか・・・それは生徒さん本人と保護者の方の価値観しだいです。

 

いざ入塾してから「こんなはずではなかった」と感じながら、自分に合わないと言い出せずに受講なさることになってしまっては、その時間はご本人にとって大きな損失です。そうなる前に、ご入塾を検討されている段階で、ご家族でよく話し合ってください。

 

個別指導は、けっして「集団塾についていけないから選ぶ」ものではありません。

「自分の目標に向かってがんばりたい、そのために先生としっかり向き合いながら、きめこまやかな指導をうけたい」と思える生徒さんを、きっとどの個別指導の先生も待っています。

 

”超・個別指導”のネット塾である真花塾では、塾長自らが責任を持って、一人ひとりとまっすぐに向き合います。そして、皆さんにとって何よりも大きな幸せである「志望校合格」のための指導をします。

さらに、私が生徒さんや保護者の方に書くメールやLINEは、だいたい長文です。指導の意図をご家族みなさんで共有していただけるよう、言葉を尽くします。

課題の提出が滞る場合は、生徒さんを叱るよりも前に「なぜできなかったのか」をともに話し合い、同じことが二度と起きないように、課題の出し方を工夫し、その分だけご本人の創意工夫も引き出します。

 

これが“超・個別指導”のキャッチコピーにこめた信念であり、塾としての覚悟です。

いま、なぜ個別指導にご興味を持たれたのか。
これからご本人としてもご家族としても、どのように変わっていきたいのか。

私といっしょに、その対話を重ねて、その答えを見つけてみませんか。

2020年1月12日

学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

松花堂庭園~文化人・松花堂昭乗の残した書簡から”人脈”を学ぶ【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

京都府八幡市にある松花堂庭園は、石清水八幡宮の高僧である松花堂昭乗の草庵を起源とします。「松花堂」とは、草庵茶室の名によります。

庭園にはこのほかに、待隠(遠州好「閑雲軒」写)、梅隠(宗旦好)、竹隠の3つの茶室があるだけでなく、とくに椿や竹といった草花が季節ごとにたのしめます。

松花堂昭乗は、茶人としてだけでなく画人や書道家としても知られている文化人です。高い芸術性と広い人脈がうかがえる作品や記録が残されています。

また、彼はこまやかな気配りをもって、長く丁寧に手紙文を書く人だったといいます。利休が残した手紙の「長文」とされている書状の、2倍以上の長さの手紙を、いつも書いていました。

例えば、近衛信尋と徳川義直とが会談するにあたり、徳川の家臣である木瀬吉十郎に宛てた内容はこのようなものでした。(淡交社『淡交十月号』第56巻第10号から引用)

「近衛信尋公がいよいよ徳川義直公とお会いすることになった。私は急な茶会の約束ができ参上できない。信尋公から義直公への進物については、一昨日の御成の時のを参考にされたい。同道する家臣は成瀬隼人、その他である。進物は程良く、貧しくないように。義直公の家臣は長刀を差したり、派手な帷子などは避け、いかにも殊勝な物を。五摂家の装束は烏帽子傍続(小直衣)の由である。朝早く飛鳥井龍雲の所で御装束の着替えがあろう。茶室の準備はできていないようである。他の大名の所は如何であろうか。」

この書簡は、昭乗の人となりを十分に示したものといえるでしょう。

■自分は2人が面会する場に同席できないこと
■進物の内容
■関わる家臣の名前
■服装と着替えの控え室
■茶室(茶会)の準備について
■他の大名の動きを確認

これだけの事柄を考えていれば、手紙文が長くなっていくのもうなずけますね。

一口に会談といっても、本人たちがただ会って飲み食いしながら話をするだけではまったく不十分です。当事者たちがスムーズかつ和やかに話し合いをするには、事前準備が肝要で、仲介する立場の人間の細やかな気配りが求められていきます。

現代における交流の場や仕事上においても同じことがいえますが、「間に立つ人」の存在と動き方は非常に重要で、当事者たちの出会いの成否を左右します。

まして寛永の時代、それも天皇家と将軍家に関わる人物との対談であれば、なおさらです。昭乗はこのように、隠れた政治参加とも言うべき、究極的なバックアップを担ったといえます。

とはいえ、昭乗自身はなにも「重要な会談だから」と特別に思って動いたわけではないでしょう。普段、とくに茶人としてもてなしの場を経験する中で、培われた人間観察眼や物事の本質を見極める判断力が、このように生きているのだと思います。

昭乗は、寛永時代の文化サロンの一員で、それで幅広い人脈を持ち活動をしていたといわれています。

人脈づくりに奔走する若手社員や就職を意識し始めた大学生たちには、なんとも羨ましいことかもしれません。もしかしたら、仕事人として成熟期を迎えている40代以上の方にとっても、次のステージに進むためにあらためて人脈を欲するケースもあるでしょう。

人生はとにかく逆説的にできています。

人脈は求めれば求めるほど、質が低くうすっぺらいものになりがちです。そもそもなぜ自分が人脈を求めてしまうのか、考えたことはありますか?ビジネスのため、それとも新しい出会いを願ってのことでしょうか。実は自分でもよく分からないけれど、なんとなく付き合う人が多いほどいいような気がするから、ということもありがちです。

いくつになってもおのれの得になることばかりを考えている人間は、どんなに隠そうとしても、見る人が見ればすぐにバレます。しかも本人はそれに全く気づいていませんから、周りには余計にあさましく感じられるのです。

うまく立ち回ったとして、はじめの数回は何かを享受できるかもしれませんが、「もうあの人とは距離を置こう」と思われてしまえば、悪い評判を自分で広めてしまうことになります。

まずは自分が、価値を誰かに提供できるような存在を目指すことが先です。そういった意味で、「間に立つ人」の役割に徹することは重要です。

ではいったい、よき「間に立つ人」」を目指す上で、普段からどのような姿勢でいるのがよいのでしょうか。

それは「情報の見極め方・活かし方」を見直してみることです。

周りの人の言っていたちょっとした言葉、口癖、好きな物事、嫌いな物事や考え方などは、ストレートにそのまま覚えることはできますね。それだけでなく、その人の生活時間や今後の目標なども大切な情報です。周りにいる人物のことも、よく見て知っておくことが大切です。

連絡しても相手につながらないようなタイミングにアプローチしても、タイムラグが出て不信につながりかねませんし、その人がこれからどんな活動をしたいと望んでいるかや、何をもって「成功」と考えているかは、利害を超えて人としての信頼関係がなければ伝え合うことはできません。

本気で心をこめて相手と向き合わなければ、本当に相手のために動くことができず、ただのひとりよがりの結果になってしまいます。

昭乗の手紙文の長さは、会談する当事者たちの「成功」とする着地点をともに見据えた上の、昭乗にしかできない役割に徹した結果です。

この人柄に、書、絵画、そして茶の湯といった芸事に裏打ちされる教養と実力が備わっていたのですから、「いざというときには昭乗がいる」と信頼を寄せられる様子が目に浮かぶようです。

現代では、メールやSNSなどの文字ツールは短ければ短いほど受け入れられる傾向がありますね。

でも、重要な場面において「長文が書けない」「長いメッセージ文に拒否反応を起こして最後まで読み通すことができない」というような姿勢では、コミュニケーションの目的を達することはできません。

歴史から学べることは数多くありますが、ただ起きた出来事を知って満足するのではなく、先人たちの遺してくれた記録に触れてみることて、血の通った学びが得られます。

2019年12月21日

学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

平等院〜末法の時代の信仰とわたしたち【真花熟にほん伝統文化プロジェクト】

極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ
『扶桑略記』より~

この「宇治の御寺」こそ平等院である。

十円玉の表の絵でよく知られている鳳凰堂。その扉画に、大和絵風九品来迎図が描かれている。

赤衣の阿弥陀如来が、山の尾根をつたうようにして、18人の菩薩と来迎する。一方で、臨終のせまった人は、ごく日常の生活を送る場にいてそれを待つ。

「迎えられること」そして「待つこと」は、死を悟った老人が「お迎えを待つ」という表現をする根本であるのだろう。

さて、もとは道長の別荘であったこの建造物が頼通の手によって「平等院」へと改められたのが、永承7(1052)年。仏教における「末法」に入ったちょうどそのときだそうだ。

末法とは、釈迦の入滅から1000年から2000年を経たあとの1万年間とされている。

釈迦入滅後のはじめの1000年は「正法の時代」といい、釈迦の教えがそのまま正しく残る。だが、そのあとに続く1000年は「像法の時代」といい、正法の「像」の教えになる。さらにその後が「末法」。仏教は形だけで中身のないものとなってしまう。

興味深いことに、末法の時代には、なにか具体的に悪い出来事(たとえば天変地異など)が起こるというわけではない。

仏教のなかでの争いや僧侶の堕落などで、仏教の精神が失われてしまい、正しい修行が行われず悟りも開かれないことそのものが「末法」なのである。

ある理想とされる正しい考え方が、それをうちたてた人物が去ったことにより、その精神性がだんだん薄れていき形骸化するということは、どの組織にもあることだ。

たとえば社訓などに代表される、さまざまな標語やルールなどは、作った瞬間こそが最高のときである。

それが貼り出されて、ことあるごとに守ろう守ろうと叫ばれるほどに、逆説的に人はそれを意識しなくなっていく。まさに形骸化してしまい、「分かっているがやる意味や目的は知らない」という状況になる。

それに立ち会うはめになる人間は、かつての理想とした組織の形を懐かしみ、それがなくなった「いま」を嘆くばかりである。

そして、ひどい場合には「新しく変わってしまった」ときを生きる者への無理解へと変わっていく。

”末法”はあくまで仏教の事柄であるものの、「ある教えのその後」という観点では、非常に示唆に富むのではないだろうか。

末法の到来を恐れた人々は、極楽浄土に往生したいと願う。それが、鳳凰堂をはじめとする極楽浄土の具現化だった。

平等院には鳳翔堂というミュージアムがある。足を踏み入れたとき、ただの「見学」であった平等院の訪れがガラッと変わり、まるで本当の極楽浄土を見ているように感じられたのを覚えている。

同時に、いまでも強烈に印象に残っているのが「不安感」だった。それは、なにも藤原頼通が思いをこめて建てたからだとか、平安末期に起こった歴史的事件だとか、末法思想を聞きかじっていたからというわけではない。

平等院の建造物も、阿字池も、阿弥陀如来も雲中供養菩薩も、美しいもの、安らぐものとして存在する一方で、「いま」を否定するような強さを秘めている。

もしかしたら、極楽浄土が「死」あればこそ成り立っているのと同じで、すべてのものは変わりゆくことを大前提として受け入れて、人は生きていくべきであり、それこそが本当の極楽ではないかと思う。

2019年11月18日

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建勲神社〜信長の“強さ”と伝統芸能【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

船岡山にあり、織田信長を祀る神社である建勲神社は、「信長の大ファンだった」という明治天皇の御下命で創建されました。正式には「たけいさおじんじゃ」というそうです。

さて、信長といえば誰もがしる戦国武将。私にとっては、子ども時分に初めて知った歴史上の人物であり、社会人になっても折に触れて思い出します。原点にして頂点といったところでしょうか。メディアによる「理想の上司ランキング」でもよく登場します。皆さんは信長、お好きですか?

これまでさまざまになされてきた信長の功績や人物についての評価ですが、信長が「強かった」ことは確かといえるでしょう。今回は、とりわけ精神面の強さの秘密を考えてみます。

訪れたのは2019年初秋。青々とした木々と山、そして市街地が見渡せ、心地よい時間が流れていました。

建勲神社の数々の写真とともに、ぜひ信長の人生を流れる湧水を感じていただけたらと思います。

■若き日の“うつけ”と外見戦略
信長の”うつけ”エピソードは、奇抜ないでたちを中心に語られます。湯帷子に半袴に、瓢箪を腰にぶらさげて・・・という服装ですね。
さらには、父である信秀が病死した際、葬儀の場では大幅に遅刻したばかりか、いつもの”うつけ”姿に袴すら履いていない格好でやってきて、父の仏前に抹香を投げつけてさっさと帰ってしまったのです。

ですが、信長の”うつけ”は本人による「戦略」だったという説が有力です。

天正22(1553)年、美濃国の斉藤道三と会見したときのことです。すでに信長はその数年前に、斉藤道三の娘、濃姫を正室にしていました。

『信長公記』には、斉藤道三は娘婿のうつけぶりを、正式な面会前に覗き見していたという記述があります。会見場所の正得寺(いまは聖徳寺)にやってくる信長ご一行を、こっそりと見たかったのですね。

そして道三は、自分は礼儀正しい服装で信長を出迎えて、彼に恥をかかせようと考えていたのだとか。

それが・・・!

いざ実際に会見にやってきた信長は、髪も装束もしっかりとあらためており、道三を非常に驚かせただけでなく、道三との話の受け答えも堂々として立派だったとのことです。

もし若き信長がうつけを「戦略的に演じていた」として、その意図や道三との会見に臨んだ思いは、きっと本人のみぞ知るのでしょう。

ですが、私は子どもながらに、この行列のエピソードには大変な感銘を受けました。やるときゃやる!と、わざと普段との切り替えを見せることも、れっきとした戦略になるのだと知ったのです。

うつけ時代の信長の、織田家の嫡男らしからぬ奇抜な服装も、一説では庶民の生活空間にとけこみ、自分の目で実情を確かめたかったからだと言われています。若気の至りだとか、父・信秀への反抗心だとかいう意見も目にしたことがありますが、ここは「明確な意図」と、それに基づいた自己演出だと考えたいと思います。

■信長と謡・舞
有名な桶狭間の戦いは、永禄3(1560)年5月のことです。今川義元を迎え討つために発つ直前、信長が舞った幸若舞「敦盛」の「人間五十年」の節はあまりに知られています。

人間五十年
下天のうちにくらぶれば
夢幻のごとくなり
一たび生を得て
滅せぬもののあるべきか

最後の「か」は反語の係助詞です。つまり、「ひとたびこの世に生まれて、死なないものはあるだろうか、いやそんなはすはない。すべてのものはいつか必ず死ぬのだ」となります。

信長は当時27歳でした。そして、大軍を前に、負けは即、死を意味する危機的な状況から、私たちはつい「信長がこの謡のことばに自らを重ね、プレッシャーをはね返す力を得たのだろう」と推測しがちです。

でも、どうやらもっと根本的に「なぜ出陣の直前に舞ったのか」ということも考えておかなければならないようです。信長は、今川軍が織田領にせまっているという情報を得ておきながら、あえてすぐに迎え討つようなことをせず、騒ぐ家臣をよそに一人で部屋にこもっていました。

それは「自分の恐怖心と不安を逆手に取り、極限に高めておくための戦略的な時間だった」のだと聞いたことあります。そうでなければ、突然にこの「敦盛」を舞い、猛スピードで出陣の準備をして、家来を置いてきぼりにする勢いで駆けては行けなかっただろうと。

(小出しで受け取る断片的な情報を、一人で思案してつなぎ合わせ、いざ出陣して勝てるタイミングを計っていたからという解釈もあります)

恐怖と不安を逆手に取る意図があったとするならば、やはり謡って舞うという手段には納得させられます。謡のことばにももちろん感銘を受けますが、もっとフィジカルな信長の“強さの秘密”ともいえるものです。

■怖くなんてないさ!と思えてくるほどの内面と身体の充実
「おばけなんてうそさ」という歌がありますね。たとえば子どものころ、肝試しのときや、暗い夜道を行くときなど、口ずさむとちょっと怖さが和らいだ気持ちになったという人も多いのではないでしょうか。

日ごろから、理屈抜きに「どんなに恐怖があってもこれをすれば落ち着く!」という、自分のルーティンのようなものをひとつ身につけておくだけで、心にも振る舞いにも余裕が出てきます。あー不安だ、あーどうしよう怖い!という場面になっても、いざ大人になって社会に出ると、それをあからさまに見せていいわけではなくなっていきます。(とくにプレゼンテーションや営業など)

現代に生きる私たちにとって、ありのままの自分を知りながらも、マイナスな気持ちをコントロールしたり、いい意味で「他人が見たらどう感じるか」を気にして逆手に取ることも、生きる知恵といえるでしょう。

そんなとき、舞のもつ鍛錬の力を知っておくのもアイデアの一つです。もちろん、いまの時代においてはダンスのように身近なものではありませんし、ちょっと真似してみてできるようなものではないでしょう。だからこそ鍛錬にふさわしいといえます。

実際に仕舞を教わってみると

すり足によって足裏全体で地を踏みしめるような感覚
重心を下に維持した体重移動
・肩を下げるなどで自然と深くなっていく呼吸
・非日常的な稽古という時間と程よい緊張感

など、人それぞれに心地よさを感じられることと思います。

さらにでは

腹筋を使い、のどの奥が開くような発声
・とにかく大きな声をおもいきり出せる開放感

も得られます。

ただ「教えてもらおう」「楽しもう」という姿勢だけではなく、自分で練習してきたことが正しいかどうかを見ていただこう、教えていただこうという思いが芽生えやすいのも、伝統芸能ならではではないかと思います。いわゆるレッスン、と同じ意味とはならないのも、このあたりに秘密があるのかもしれません。

■信長の有名な「うつけ」「人生五十年」のエピソードを通じ、皆さんの信長に対するイメージは変わられたでしょうか。

歴史上の人物には魅力がいっぱいです。ごく一部の史実からでさえも、少し角度を変えて見てみることで、いまを生きる私たちにとってとても多くの気づきが得られます。

きっと信長は、戦国の世に生まれたから、織田家の当主だから強かったのではなく、若い時分から、自ら日々の鍛錬を行い、そして自分をよく知って演出を工夫し続けたからこそ、のちの歴史に残る功績につながったのでしょう。

真花塾は、”明日使える古典”をモットーに、大学生や社会人になっても皆さんの学びを応援しています。

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