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2020年11月3日
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家族はどうする?「家で勉強しても集中できない」ときの対処法

こんにちは!真花塾の塾長ヨシカワです。
大学受験に「受かる人」と「そうでない人」にははっきりと差があります。それと同じように、「受かるご家庭」と「そうでないご家庭」も、実は明確に分かれます。
受験生ご本人には、高校の先生方や予備校の先生、塾の先生から、直接あれこれと指摘や叱咤激励が入るものですが、ご家庭とくに保護者の方には、どの先生もなかなか改善すべき点を指摘しづらいのが現実です。
もちろん、どのご家庭にも子育て方針があり、お子様の教育のゴールを小さい頃から決めておられます。ご家庭のその方針に素直にしたがってきた受験生もいれば、反発の多かったお子様もおられるでしょう。
保護者の方としても、たとえば「きょうだいで同じように育ててきたつもりでも、下の子は上の子とちがって高い目標を持ちたがらない」などの戸惑いがあるとお聞きします。
それでも、やはり物事には原理原則がつきものです。
「家庭の方針に合わせて」「受験生であるお子様の個性と意思を尊重して」というのは当然であっても、プラスして「受かるために本人とご家庭で“変えていくべきこと”」をぜひ知っていただき、しっかりと行動に移していただきたいと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。
「家では集中して勉強できない」という受験生は非常に多いです。私が「じゃあたとえば台風が来たり、大雨になったりして学校が休みになって、外出できないときはどうしてるの?」と聞くと、「そのときは家でなんとか頑張ってる」と彼らはいいます。
ただし、「そのときだけは嫌々家で勉強するけど、毎日家で勉強するなんて絶対無理」と、たいてい言い訳の言葉が続きます。
対して、見守るご家族としては、家での姿がお子様のすべてですよね。たとえばお子様が「塾や図書館で頑張ってきた」と言ったとしても、「ほんと?」とついそれを否定したくなるものではないかと思います。
誘惑多い家の、ましてお子様本人の部屋で勉強しているのであれば、いくら本人が「がんばっている」と言っても、保護者の方の不安はなかなか消えないものだと思います。
塾講師としての第三者目線でお話しさせていただくと、受験生本人と保護者の方との歩み寄りがもっとも重要なのは、この「家での勉強での取り決め」なのです。
ここからは、受験生の皆さんと保護者の皆さまへ、それぞれにあてた私からのメッセージです。いつも生徒面談、保護者面談で申し上げている内容を、できるだけそのままの形でお伝えしたいと思います。
【受験生の皆さんへ】
まず、合格したいなら「家でも頑張れる」ことが大前提だと思いなさい。ひと昔前と違って、いまは突発的な自然災害も多く、警報その他で学校や塾が休校になることも増えています。そのときに「家だからはかどらなかった」と平気で言えている受験生は成績UPは見込めません。
大学受験生なら、一日12時間は勉強することになります。
受験生としての休日。朝起きて、「さぁ今日はどこに行って勉強しようかな。塾は15時から22時まで空いているから、塾の自習室を使うとして、それまでは・・・図書館に行こうかな。でも席取らないといけないし面倒だなぁ。どうしようかなぁ」と悩んで迷っている時間は、本当にほんとうにもったいない!
起きてすぐに簡単な身支度をすませて、塾の開くその15時まで、家ですぐに勉強を始めるのがいちばんに決まっています。
「家で集中できない」うちは合格は無理だと思ってください。
家でも集中できる方法や、自分の毎日の勉強時間を自分で考えてご家族に伝え、手助けが必要ならはっきりと自分からお願いして、「家でもがんばりたい」「合格したいから協力してください」という意思表示をするべきです。
自分が合格できるかどうかを無駄にあれこれと心配するのではなく、きちんと自分が勉強できる環境づくりを考えなさい。
【保護者の皆さまへ】
「うちの子は家では全然勉強しない」とのご相談をよく頂戴しますが、保護者の方の目から見て、いまのお子様はいかがですか。たしかに、お子様は家ではついだらけてしまうと思います。ご心配はごもっともです。
ですが「家でははかどらない」と言い訳したくなるお子様のお気持ちについて、詳しくご本人から話を聞いたことはおありでしょうか。
高校生の言い分として一番多いのは、「家で勉強しようと思っても家族がじゃましてくるから」なんです。この意識のすれちがいは、受験直前期に大きな悪影響になりかねません。少しでも早く、お子様と話し合いの時間を持つのをおすすめします。
高校生がいう「じゃま」は、「一方的に話しかけられること」「騒音を立てられること」「思うように時間のやりくりができないこと」の3つではないかと、私はいつも感じます。ご家族にとっては無意識である毎日の行動が、もし本当にお子様の受験合格への妨げになっているとすると、とても悲しいですよね。
今日からはぜひ、このようなことに気をつけてみてください。
お子様が勉強しているときにはよほどでない限り話しかけない。
→これがもっともわかりやすい「じゃまをしない」ということです。「ちゃんとやってるの?!」はNGです。
お子様が自分から伝えてきた勉強時間内は、ご自身やほかの家族が娯楽を楽しむ声はできるだけおさえる。
→耳から入る情報は、思っている以上に余計な刺激となります。家族が楽しそうに盛り上がった声ならなおさらです。
お子様には「勉強第一でいいよ」と伝え、できるだけ家事などの頼みごとは最小限にする。
→お仕事をお持ちの保護者の方もたくさんおられますが、「家にいるから」となんでも頼むのではなく、前もってお子様と約束している家事だけにとどめるのがいいでしょう。本当に突発的で緊急を要する用事であれば、お子様ご本人からご家族に「やろうか」という声があるのではないでしょうか。
お子様に「早く寝なさい」と言わない。
→お子様の体を気遣うお気持ちはわかりますが、一日12時間受験勉強をする毎日のうち、「これが解き終わるまでは寝たくない」という日も出てきます。気の済むまで勉強させてあげることが、受験において「子どもの意思を尊重する」ということではないでしょうか。
さて、ここからは裏ワザです。
お子様の大学受験や大学受験勉強について、保護者の方のご不安が募ってきたら、ご自身も読書をしてみてください。雑誌や、タブレットでのデジタルの読書はおすすめしません。久しぶりに図書館や本屋さんに足を運んで、好きな本を選んで、おうちで楽しく読んでみてください。
お子様は、その保護者の方の背中を見ています。学ぶことの楽しさ、本を読むことの面白さ、家で静かに集中する時間のすばらしさを、ご家族のそのご様子からきっと感じ取ることでしょう。
【まとめ】
受験生本人が本当に勉強を頑張りたいと思うならば、まずは自分が家で集中できる環境づくりを真剣に考えて、ご家族に何をサポートしてほしいのか、明確に伝えてお願いしましょう。それが受験生として家族にしなければならないマナーであり、大人として成長するということなのです。
また、見守るご家族は、そのお子様からのお願いを一蹴したりせず、真摯にしっかりと向き合ってあげてください。そして、お子様の受験の成功を心から願っていることをはっきりと伝え、家族が配慮したりサポートできることとそうでないことを、細かく提示してあげてほしいと思います。
保護者の方の強いご不安は、ときにお子様の精神力や判断力を奪います。
ご不安がコントロールしきれなくなるほどになったときは、お子様本人や家族にストレートにぶつけるのはなく、家で読書してみてください。好きな本で気持ちも豊かに、大人だからこそ得られる学びの面白さを、ぜひ背中でお子様に伝えてあげてください。晴れて大学生になったお子様は、その姿を目に心に焼きつけてさらに成長されることと思います。
2020年11月2日
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廬山寺〜紫式部の「眼」が見た人々と自己

京都御所の東側のそばにある廬山寺は、紫式部が『源氏物語』を執筆した場所として知られています。
紫式部は藤原為信を父に持ち、「学者肌の素朴で地道な生活」を送る家風の中で育ったといいます。また、幼い頃に母や姉を亡くしたこともあって、内省的な性格であったそうです。
また、当時漢籍は男性が身につけるべき教養でしたが、父為信は、式部の弟にそれを教えていたものの、そばで聞いていた式部のほうが理解が早かったので、「娘でなく男であったなら」と残念がったという逸話が残っています。
さて、誰もがよく知る光源氏が主人公のあの『源氏物語』は、まさに式部の代名詞です。「紫」式部と呼ばれるようになったのも、この物語の登場人物「若紫」に因んでいます。
『源氏物語』をめぐるエピソードは興味深いものが多いです。たとえば、実は光源氏のモデルとされる人物は6人ほどいます。
光源氏は、いわば彼らの魅力が結集したキャラクターなのです。なるほど、源氏が当時の男女誰もが憧れるスーパースターであるのもうなずけますね。
式部の「人々を観る眼」は非常に写実的かつ俗っぽく、くすっと笑えてしまうほどでです。『紫式部日記』には、ともに一条天皇の中宮彰子にお仕えする女房たちや、清少納言について、式部がどう捉えていたのかがよく分かる記述があります。
少しご紹介しましょう。
大納言の君は、いとささやかに、小さしといふべきかたなる人の、白ううつくしげに、つぶつぶと肥えたるが、うはべえはいとそびやかに、髪、丈に三寸ばかりあまりたる裾つき、かんざしなどぞ、すべて似るものなく、こまかにうつくしき。顔もいとらうらうしく、もてなしなど、らうたげになよびかなり。
「大納言の君は、とても小柄で、小さいといったほうがいい人で、色は白くかわいく、つぶらに肥えている人が、見た目にはとても体つきはすらっとしていて、髪は背丈に三寸(約9センチ)ほど余っている裾のようすや髪の生えぐあいなど、どれも類のないほど、すみずみまで行き届いて美しい。顔もとてもかわいらしくきれいで、振る舞いなども可憐で上品で穏やかだ。」
また、清少納言についてもこのように。少々長いですが、興味深いので引用します。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし。行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。
「清少納言はまさに得意顔でとても偉そうにしている人。あれほどかしこぶって漢字を書きちらしております程度も、よく見ると、まだとても足りない点が多いです。このように、人よりも特別でありたいと思ってそうしたがる人は、きっと見劣りがし、ゆくゆくは悪くなっていくだけですから、いつも風流ぶるようになった人は、とても寂しくて退屈なときでも、しみじみ感動しているようにふるまい、興あることも見逃さないうちに、自然とそうであってはならない不誠実な態度にもなるのでしょう。その不誠実になった人の行く末は、どうしてようことがありましょうか。いえ、きっとよくないはずです。」
紫式部がここまで辛辣であるのには、清少納言と同様に自身も漢籍の素養があったことや、内省的な自分と正反対のような清少納言の振る舞いに、大きく心が乱されたことが要因ではないかと思います。
ある特定の人に心乱され、嫌いまたは憎いという思いを抱くとき、その相手に自己を投影させていることがよくあるという話を聞いたことがあります。清少納言の人物像は、もちろん紫式部の書いたこの一節でのみ決まるものではありません。
むしろ、一貫して中宮定子と藤原道隆らの凋落を感じさせることなく、自身の「さかしだち」のエピソード以上に、定子の優しさと魅力をつづった『枕草子』からは、何一つ敬愛する女主人に寄せ来る現実の暗さを感じさせまいと覚悟に満ちている清少納言の表情が浮かぶようです。
紫式部は以上のように、周囲の女房たちについてあれこれと述べる一方で、理想的な「人(=女性)」の心持ちと振る舞いについて残しています。
様よう、すべて人はおいらかに、すこし心おきてのどかに、おちゐぬるをもととしてこそ、ゆゑもよしも、をかしく心やすけれ。
「すべて女というものは、見苦しくなく穏やかで、少し心持ちもゆったりして、落ち着いていることをまさに基本として、品位も風情も趣深く安心です」
現代においては、「人」は女性に限らず、男性も含めたすべての人にあてはまる理想像といえるでしょう。とはいえ、式部の言葉は、自分自身に向けた戒めにも似たもののように感じられます。
『紫式部日記』には、多くの場合「『源氏物語』の作者」とだけとらえられがちな彼女の、内面の葛藤や思いがこまかくつづられています。
その自身の複雑な思いに翻弄されまいと、必死に言葉を紡いだ彼女の憂いに満ちた表情は、清少納言が『枕草子』で見せる覚悟の顔つきにも似た、生きた人々の直面した苦悩や思いを伝えてくれます。
2020年3月22日
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三井寺〜夢応の鯉魚(上田秋成『雨月物語』より)鯉魚とすべての生あるものの叫び

三井寺(園城寺)は京都からは地下鉄と京阪電鉄を乗り継いで、小旅行気分を味わいつつもとてもスムーズに訪れることができます。
いまではなんといっても、多くの映画やドラマのロケ地として知られ、本来の寺院としての楽しみ方に、またちがった味わいも感じられる場所ではないかと思います。
今回も真花塾の頼れる女子大生カメラマンの力を借りて、紅葉の季節に三井寺のさまざまな美しい場所をめぐることができました。三井寺にまつわる“古典”について掘り下げていきます。
■三井寺に残る”伝説”
三井寺には広大な境内に、たくさんの文化財だけでなく、さまざまな伝説が残っています。
たとえば、
・秘仏であるご本尊
・弁慶の引き摺り鐘
・ねずみの宮と頼豪阿闍梨
などです。
さらに“伝説的”なものとして、三井寺の興義という僧侶が魚となって不思議な体験をしたというお話が書かれている『雨月物語』の「夢応の鯉魚」が挙げられるのではないかと思います。
興義は、詳しいことは分かっていませんが、画家として有名な実在の人物なのだそうです。なお、「夢応の鯉魚」の主人公は、作者である上田秋成と同じ時代を生きた、べつの大阪の画家がモデルであるという説もあるようです。
■『雨月物語』より「夢応の鯉魚」のあらすじ
三井寺の興義は、絵が非常にうまいことで評判の僧侶です。琵琶湖に小舟を出して、漁師から買った魚をすぐに水に放して、その泳ぐさまを絵に描くこともありました。
また、魚で遊ぶ夢を見て目覚めるやいなや、すぐにそのさまを絵に描いて「夢応の鯉魚」と名前をつけて、それを人にあげていました。
あるとき興義は病気で急死してしまいますが、その三日後に蘇生して、檀家の一人にある話を始めます。
それは、自分が死んでからの話。彼は夢を見ていたというものでした。
興義は一匹の鯉に生まれ変わっていたのです。
水の中を泳ぎ回っているときの様子、そして漁師に釣り上げられ、その檀家の家で膾にするために料理される(つまり人間によって殺される)ことになって、命を取られるまさに寸前で、目が覚めたのだと。
とくに私たちに強烈な印象を残すのは、興義が鯉としての楽しみを謳歌していた一方で、海神からのこのような詔を聞いていたにもかかわらず、欲望に負けて釣り針にかかり、殺される恐怖が描かれるくだりではないでしょうか。
海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今、江に入て魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせた給ふ。只餌の香ばしき昧まされて釣りの糸にかかり身を亡ふ事なかれ・・・
生前の放生の功徳により、
かねてからの「魚になって悠々と泳ぎたい」という望みをかなえてあげよう。
でも、餌のかんばしい香りに目が眩んで、
釣り糸にかかって身を滅ぼしてはいけないよ・・・
興義は「自分は仏の弟子である。たとえ食べ物がなくても、魚の餌などどうして食べることができるだろうか、いや、そんなはずはない」と思い、また泳ぎ始めます。
突然、ひどい空腹を感じてきました。どうしようもなく狂うように泳ぎ回っているうち、知り合いの漁師が釣りをしているのに出会いました。
そして、餌を食べても捕まりはしない、それに自分の知り合いの漁師なのだから気にするまでもない、と考えてついに餌を飲み込んでしまいました。
こうして、釣り上げられた興義は慌てふためき、漁師に向かって叫びます。
こはいかにするぞ
でも、まったく届くことがありません。そのうちに、檀家の家へと運ばれました。
そこで、宴会に集まる人々に向かって
旁らは興義をわすれ給ふか。ゆるさせ給へ。寺にかへさせ給へ
としきりに叫んでも、彼らにも聞き入れてもらえない。とうとう漁師人によってまな板に乗せられたとき、刀が目に入ります。
仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよ
泣き叫ぶ興義。とうとう切られる!・・・そこで目が覚めたのです。
この話を聞いた人々は、そういえばあの魚は、声はしなかったが口をぱくぱくさせていたなと思い出し、膾の残りを湖に捨てることにしました。
■興義のその後
興義はその後天寿を全うし、臨終のときには、自分が描いた鯉の絵を湖に散らしました。絵のなかの鯉は紙を抜け出して水中に泳いだため、興義の絵は今に残されていないのだとか。
僧侶にもかかわらず生への執着を捨てられず、最期のときに自分を「仏弟子」だと言って泣き叫ぶ。それを傲慢な人だ、僧侶らしくない、まるで普通の人間と同じである。
これが「夢応の鯉魚」です。
直接三井寺が出てくるのではありませんが、三井寺の興義のこの不思議な物語は、真に迫ってくるものがあります。魚の叫びは、いわば生あるものすべての叫びです。
■琵琶湖周辺の美しい景色と和歌的な言葉の数々
ちなみに、この物語には、琵琶湖周辺の地名や歌枕がたくさん出てきます。魚となって泳ぎ回る興義が、昼に夜に見た美しい景色を、和歌の修辞を通してより立体的に感じられます。
長等の山、志賀の大湾、比良の高山。さらに、沖津嶋山、竹生嶋、伊吹の山風、そして瀬田の橋・・・。
琵琶湖へは、関西圏の人にとってはアクセスも便利ではありますが、このように古典文学を通して、ココロのプチ旅行をしてみるのも、とても面白いものですね。
2020年3月12日
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入塾手続きの前に知っておきたい!”個別指導”とは

「うちの子、“こんな感じ”なので、やっぱりどうしても集団塾よりも個別指導じゃないとと思いまして・・・」
大学受験を目指し、このように受講希望されるのは高校生ばかりではありません。中学生も増えています。
古典特化のオンライン授業を行う当塾において、中学生さんの場合は、やはり保護者の方がホームページをご覧になって、お問い合わせくださるというケースがほとんどです。
とはいえ、中学生のみなさんもいつか必ず高校生となる日が来ます。そして、大学受験を目指される日が来るでしょう。
ですから、中学生の方はすべて高校0年生と思って接しております。
お電話で、お子様についてお聞かせていただくと、小学校のときのお勉強の好き嫌いや、得意だったことなどが分かります。中学受験のときのがんばり、学校の先生にほめられたこと、家庭教師の先生によく注意されたことなど・・・。
それらはすべて、ご本人にとって成長の証であり、強烈な記憶となって「いま」を作っています。
同じように、保護者の方にとっても、お子様の「成功」の体験や、反省に迫られた経験は強く残っておられることと思います。
その積み重ねで「やっぱり個別指導でないと伸びない、合わない」というご判断をなさり、お問い合わせにつながることはよくあります。
ただ、もし本当に「集団指導が合わないから」という理由のみの場合は、「個別」に絞られる前に、少しお子様と話し合っておいていただきたい点がございます。
それは、原則、個別指導のほうが“断然厳しい”ということ、そして“自分で自分を変えていこうとしない生徒さんにとっては、その指導が逆効果になる可能性がある“という現実です。
個別指導は、指導する先生と生徒さんの距離が、物理的にも精神的にも近いものです。
その分生徒さんの、勉強へのマイナスの感情や甘えも、ストレートに先生に伝わります。それらは無意識的なだけに、とてもデリケートな問題になりがちです。
つまり、勉強についての、きめこまかな指導を望まれての受講であると同時に、「勉強のレベルアップのための努力」の枠を超えて「生徒さん自身の人間的な成長」を強く求められるのが、個別指導なのです。
たとえば、このような場合が重なると、どうしても健全なコミュニケーションは難しくなっていきます。すれ違いが大きくなれば、当然指導の効果も薄れます。
■添削や教材データを受け取ったときに「受け取りました」というレスポンスや「ありがとうございます」という気持ちを言葉にして伝える習慣がない
■授業時間にことわりなく遅刻しても「すみません、実は・・・」と説明することができない
■しょっちゅう忘れ物をする
■授業中に電話が鳴ったときに、ことわりなく当たり前のように電話に出てしまう
■授業をさえぎって学校の先生の悪口を言い続ける、友達や家族の話を延々とする
■志望校を相談なしにコロコロと変え、指導のながれを断ち切り続ける
■いつでもどんな場合でも「先生が生徒の個性に合わせてくれるのが“個別指導”だ」と思い込んでいる
など。
集団塾なら、無理に自分から担当の先生に言葉をかける必要はありません。配られたプリントなどは黙って受け取ってももちろん構いませんし、遅刻などで叱られたときは「すみません」と言えばそれ以上の追及はなく、自分で事情説明するのを迫られる必要もないのかもしれません。
いい意味で「先生とほどほどの距離感でつきあう」ことができるのです。
でも、個別指導では、先生と生徒が真っ正面から向き合い、互いのエネルギーをやりとりしながら時間を過ごします。
そんなとき、健全なコミュニケーションが取れなければ、当然叱ることになります。
成績と直接関係のない部分で、先生は良くない点を指摘し、人としての成長を促しながら、生徒さんが「なぜ自分は受講して、どんな結果を望むのか」という本来の目標と向き合ってくれるように導かなくてはなりません。
その時間は、パッと見では勉強の指導と関係ありません。ですが、志望校合格のための指導には不可欠です。
それを「厳しくきめこまやかな指導」と受け取るか、それとも「キツい指導、余計な声かけ、しつこいやり取り」ととらえるのか・・・それは生徒さん本人と保護者の方の価値観しだいです。
いざ入塾してから「こんなはずではなかった」と感じながら、自分に合わないと言い出せずに受講なさることになってしまっては、その時間はご本人にとって大きな損失です。そうなる前に、ご入塾を検討されている段階で、ご家族でよく話し合ってください。
個別指導は、けっして「集団塾についていけないから選ぶ」ものではありません。
「自分の目標に向かってがんばりたい、そのために先生としっかり向き合いながら、きめこまやかな指導をうけたい」と思える生徒さんを、きっとどの個別指導の先生も待っています。
”超・個別指導”のオンライン塾である真花塾では、塾長自らが責任を持って、一人ひとりとまっすぐに向き合います。そして、皆さんにとって何よりも大きな幸せである「志望校合格」のための指導をします。
さらに、私が生徒さんや保護者の方に書くメールやLINEは、だいたい長文です。指導の意図をご家族みなさんで共有していただけるよう、言葉を尽くします。
課題の提出が滞る場合は、生徒さんを叱るよりも前に「なぜできなかったのか」をともに話し合い、同じことが二度と起きないように、課題の出し方を工夫し、その分だけご本人の創意工夫も引き出します。
これが“超・個別指導”のキャッチコピーにこめた信念であり、塾としての覚悟です。
いま、なぜ個別指導にご興味を持たれたのか。
これからご本人としてもご家族としても、どのように変わっていきたいのか。
私といっしょに、その対話を重ねて、その答えを見つけてみませんか。
2020年1月12日
松花堂庭園~文化人・松花堂昭乗の残した書簡から”人脈”を学ぶ

京都府八幡市にある松花堂庭園は、石清水八幡宮の高僧である松花堂昭乗の草庵を起源とします。「松花堂」とは、草庵茶室の名によります。
庭園にはこのほかに、待隠(遠州好「閑雲軒」写)、梅隠(宗旦好)、竹隠の3つの茶室があるだけでなく、とくに椿や竹といった草花が季節ごとにたのしめます。
松花堂昭乗は、茶人としてだけでなく画人や書道家としても知られている文化人です。高い芸術性と広い人脈がうかがえる作品や記録が残されています。
また、彼はこまやかな気配りをもって、長く丁寧に手紙文を書く人だったといいます。利休が残した手紙の「長文」とされている書状の、2倍以上の長さの手紙を、いつも書いていました。
例えば、近衛信尋と徳川義直とが会談するにあたり、徳川の家臣である木瀬吉十郎に宛てた内容はこのようなものでした。(淡交社『淡交十月号』第56巻第10号から引用)
「近衛信尋公がいよいよ徳川義直公とお会いすることになった。私は急な茶会の約束ができ参上できない。信尋公から義直公への進物については、一昨日の御成の時のを参考にされたい。同道する家臣は成瀬隼人、その他である。進物は程良く、貧しくないように。義直公の家臣は長刀を差したり、派手な帷子などは避け、いかにも殊勝な物を。五摂家の装束は烏帽子傍続(小直衣)の由である。朝早く飛鳥井龍雲の所で御装束の着替えがあろう。茶室の準備はできていないようである。他の大名の所は如何であろうか。」
この書簡は、昭乗の人となりを十分に示したものといえるでしょう。
■自分は2人が面会する場に同席できないこと
■進物の内容
■関わる家臣の名前
■服装と着替えの控え室
■茶室(茶会)の準備について
■他の大名の動きを確認
これだけの事柄を考えていれば、手紙文が長くなっていくのもうなずけますね。
一口に会談といっても、本人たちがただ会って飲み食いしながら話をするだけではまったく不十分です。当事者たちがスムーズかつ和やかに話し合いをするには、事前準備が肝要で、仲介する立場の人間の細やかな気配りが求められていきます。
現代における交流の場や仕事上においても同じことがいえますが、「間に立つ人」の存在と動き方は非常に重要で、当事者たちの出会いの成否を左右します。
まして寛永の時代、それも天皇家と将軍家に関わる人物との対談であれば、なおさらです。昭乗はこのように、隠れた政治参加とも言うべき、究極的なバックアップを担ったといえます。
とはいえ、昭乗自身はなにも「重要な会談だから」と特別に思って動いたわけではないでしょう。普段、とくに茶人としてもてなしの場を経験する中で、培われた人間観察眼や物事の本質を見極める判断力が、このように生きているのだと思います。
昭乗は、寛永時代の文化サロンの一員で、それで幅広い人脈を持ち活動をしていたといわれています。
人脈づくりに奔走する若手社員や就職を意識し始めた大学生たちには、なんとも羨ましいことかもしれません。もしかしたら、仕事人として成熟期を迎えている40代以上の方にとっても、次のステージに進むためにあらためて人脈を欲するケースもあるでしょう。
人生はとにかく逆説的にできています。
人脈は求めれば求めるほど、質が低くうすっぺらいものになりがちです。そもそもなぜ自分が人脈を求めてしまうのか、考えたことはありますか?ビジネスのため、それとも新しい出会いを願ってのことでしょうか。実は自分でもよく分からないけれど、なんとなく付き合う人が多いほどいいような気がするから、ということもありがちです。
いくつになってもおのれの得になることばかりを考えている人間は、どんなに隠そうとしても、見る人が見ればすぐにバレます。しかも本人はそれに全く気づいていませんから、周りには余計にあさましく感じられるのです。
うまく立ち回ったとして、はじめの数回は何かを享受できるかもしれませんが、「もうあの人とは距離を置こう」と思われてしまえば、悪い評判を自分で広めてしまうことになります。
まずは自分が、価値を誰かに提供できるような存在を目指すことが先です。そういった意味で、「間に立つ人」の役割に徹することは重要です。
ではいったい、よき「間に立つ人」」を目指す上で、普段からどのような姿勢でいるのがよいのでしょうか。
それは「情報の見極め方・活かし方」を見直してみることです。
周りの人の言っていたちょっとした言葉、口癖、好きな物事、嫌いな物事や考え方などは、ストレートにそのまま覚えることはできますね。それだけでなく、その人の生活時間や今後の目標なども大切な情報です。周りにいる人物のことも、よく見て知っておくことが大切です。
連絡しても相手につながらないようなタイミングにアプローチしても、タイムラグが出て不信につながりかねませんし、その人がこれからどんな活動をしたいと望んでいるかや、何をもって「成功」と考えているかは、利害を超えて人としての信頼関係がなければ伝え合うことはできません。
本気で心をこめて相手と向き合わなければ、本当に相手のために動くことができず、ただのひとりよがりの結果になってしまいます。
昭乗の手紙文の長さは、会談する当事者たちの「成功」とする着地点をともに見据えた上の、昭乗にしかできない役割に徹した結果です。
この人柄に、書、絵画、そして茶の湯といった芸事に裏打ちされる教養と実力が備わっていたのですから、「いざというときには昭乗がいる」と信頼を寄せられる様子が目に浮かぶようです。
現代では、メールやSNSなどの文字ツールは短ければ短いほど受け入れられる傾向がありますね。
でも、重要な場面において「長文が書けない」「長いメッセージ文に拒否反応を起こして最後まで読み通すことができない」というような姿勢では、コミュニケーションの目的を達することはできません。
歴史から学べることは数多くありますが、ただ起きた出来事を知って満足するのではなく、先人たちの遺してくれた記録に触れてみることて、血の通った学びが得られます。
2019年12月21日
平等院〜末法の時代の信仰とわたしたち

極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ
『扶桑略記』より~
この「宇治の御寺」こそ平等院である。
十円玉の表の絵でよく知られている鳳凰堂。その扉画に、大和絵風九品来迎図が描かれている。
赤衣の阿弥陀如来が、山の尾根をつたうようにして、18人の菩薩と来迎する。一方で、臨終のせまった人は、ごく日常の生活を送る場にいてそれを待つ。
「迎えられること」そして「待つこと」は、死を悟った老人が「お迎えを待つ」という表現をする根本であるのだろう。
さて、もとは道長の別荘であったこの建造物が頼通の手によって「平等院」へと改められたのが、永承7(1052)年。仏教における「末法」に入ったちょうどそのときだそうだ。
末法とは、釈迦の入滅から1000年から2000年を経たあとの1万年間とされている。
釈迦入滅後のはじめの1000年は「正法の時代」といい、釈迦の教えがそのまま正しく残る。だが、そのあとに続く1000年は「像法の時代」といい、正法の「像」の教えになる。さらにその後が「末法」。仏教は形だけで中身のないものとなってしまう。
興味深いことに、末法の時代には、なにか具体的に悪い出来事(たとえば天変地異など)が起こるというわけではない。
仏教のなかでの争いや僧侶の堕落などで、仏教の精神が失われてしまい、正しい修行が行われず悟りも開かれないことそのものが「末法」なのである。
ある理想とされる正しい考え方が、それをうちたてた人物が去ったことにより、その精神性がだんだん薄れていき形骸化するということは、どの組織にもあることだ。
たとえば社訓などに代表される、さまざまな標語やルールなどは、作った瞬間こそが最高のときである。
それが貼り出されて、ことあるごとに守ろう守ろうと叫ばれるほどに、逆説的に人はそれを意識しなくなっていく。まさに形骸化してしまい、「分かっているがやる意味や目的は知らない」という状況になる。
それに立ち会うはめになる人間は、かつての理想とした組織の形を懐かしみ、それがなくなった「いま」を嘆くばかりである。
そして、ひどい場合には「新しく変わってしまった」ときを生きる者への無理解へと変わっていく。
”末法”はあくまで仏教の事柄であるものの、「ある教えのその後」という観点では、非常に示唆に富むのではないだろうか。
末法の到来を恐れた人々は、極楽浄土に往生したいと願う。それが、鳳凰堂をはじめとする極楽浄土の具現化だった。
平等院には鳳翔堂というミュージアムがある。足を踏み入れたとき、ただの「見学」であった平等院の訪れがガラッと変わり、まるで本当の極楽浄土を見ているように感じられたのを覚えている。
同時に、いまでも強烈に印象に残っているのが「不安感」だった。それは、なにも藤原頼通が思いをこめて建てたからだとか、平安末期に起こった歴史的事件だとか、末法思想を聞きかじっていたからというわけではない。
平等院の建造物も、阿字池も、阿弥陀如来も雲中供養菩薩も、美しいもの、安らぐものとして存在する一方で、「いま」を否定するような強さを秘めている。
もしかしたら、極楽浄土が「死」あればこそ成り立っているのと同じで、すべてのものは変わりゆくことを大前提として受け入れて、人は生きていくべきであり、それこそが本当の極楽ではないかと思う。