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2019年11月18日

古文を訪ねる, , 学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

建勲神社〜信長の“強さ”と伝統芸能【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

船岡山にあり、織田信長を祀る神社である建勲神社は、「信長の大ファンだった」という明治天皇の御下命で創建されました。正式には「たけいさおじんじゃ」というそうです。

さて、信長といえば誰もがしる戦国武将。私にとっては、子ども時分に初めて知った歴史上の人物であり、社会人になっても折に触れて思い出します。原点にして頂点といったところでしょうか。メディアによる「理想の上司ランキング」でもよく登場します。皆さんは信長、お好きですか?

これまでさまざまになされてきた信長の功績や人物についての評価ですが、信長が「強かった」ことは確かといえるでしょう。今回は、とりわけ精神面の強さの秘密を考えてみます。

訪れたのは2019年初秋。青々とした木々と山、そして市街地が見渡せ、心地よい時間が流れていました。

建勲神社の数々の写真とともに、ぜひ信長の人生を流れる湧水を感じていただけたらと思います。

■若き日の“うつけ”と外見戦略
信長の”うつけ”エピソードは、奇抜ないでたちを中心に語られます。湯帷子に半袴に、瓢箪を腰にぶらさげて・・・という服装ですね。
さらには、父である信秀が病死した際、葬儀の場では大幅に遅刻したばかりか、いつもの”うつけ”姿に袴すら履いていない格好でやってきて、父の仏前に抹香を投げつけてさっさと帰ってしまったのです。

ですが、信長の”うつけ”は本人による「戦略」だったという説が有力です。

天正22(1553)年、美濃国の斉藤道三と会見したときのことです。すでに信長はその数年前に、斉藤道三の娘、濃姫を正室にしていました。

『信長公記』には、斉藤道三は娘婿のうつけぶりを、正式な面会前に覗き見していたという記述があります。会見場所の正得寺(いまは聖徳寺)にやってくる信長ご一行を、こっそりと見たかったのですね。

そして道三は、自分は礼儀正しい服装で信長を出迎えて、彼に恥をかかせようと考えていたのだとか。

それが・・・!

いざ実際に会見にやってきた信長は、髪も装束もしっかりとあらためており、道三を非常に驚かせただけでなく、道三との話の受け答えも堂々として立派だったとのことです。

もし若き信長がうつけを「戦略的に演じていた」として、その意図や道三との会見に臨んだ思いは、きっと本人のみぞ知るのでしょう。

ですが、私は子どもながらに、この行列のエピソードには大変な感銘を受けました。やるときゃやる!と、わざと普段との切り替えを見せることも、れっきとした戦略になるのだと知ったのです。

うつけ時代の信長の、織田家の嫡男らしからぬ奇抜な服装も、一説では庶民の生活空間にとけこみ、自分の目で実情を確かめたかったからだと言われています。若気の至りだとか、父・信秀への反抗心だとかいう意見も目にしたことがありますが、ここは「明確な意図」と、それに基づいた自己演出だと考えたいと思います。

■信長と謡・舞
有名な桶狭間の戦いは、永禄3(1560)年5月のことです。今川義元を迎え討つために発つ直前、信長が舞った幸若舞「敦盛」の「人間五十年」の節はあまりに知られています。

人間五十年
下天のうちにくらぶれば
夢幻のごとくなり
一たび生を得て
滅せぬもののあるべきか

最後の「か」は反語の係助詞です。つまり、「ひとたびこの世に生まれて、死なないものはあるだろうか、いやそんなはすはない。すべてのものはいつか必ず死ぬのだ」となります。

信長は当時27歳でした。そして、大軍を前に、負けは即、死を意味する危機的な状況から、私たちはつい「信長がこの謡のことばに自らを重ね、プレッシャーをはね返す力を得たのだろう」と推測しがちです。

でも、どうやらもっと根本的に「なぜ出陣の直前に舞ったのか」ということも考えておかなければならないようです。信長は、今川軍が織田領にせまっているという情報を得ておきながら、あえてすぐに迎え討つようなことをせず、騒ぐ家臣をよそに一人で部屋にこもっていました。

それは「自分の恐怖心と不安を逆手に取り、極限に高めておくための戦略的な時間だった」のだと聞いたことあります。そうでなければ、突然にこの「敦盛」を舞い、猛スピードで出陣の準備をして、家来を置いてきぼりにする勢いで駆けては行けなかっただろうと。

(小出しで受け取る断片的な情報を、一人で思案してつなぎ合わせ、いざ出陣して勝てるタイミングを計っていたからという解釈もあります)

恐怖と不安を逆手に取る意図があったとするならば、やはり謡って舞うという手段には納得させられます。謡のことばにももちろん感銘を受けますが、もっとフィジカルな信長の“強さの秘密”ともいえるものです。

■怖くなんてないさ!と思えてくるほどの内面と身体の充実
「おばけなんてうそさ」という歌がありますね。たとえば子どものころ、肝試しのときや、暗い夜道を行くときなど、口ずさむとちょっと怖さが和らいだ気持ちになったという人も多いのではないでしょうか。

日ごろから、理屈抜きに「どんなに恐怖があってもこれをすれば落ち着く!」という、自分のルーティンのようなものをひとつ身につけておくだけで、心にも振る舞いにも余裕が出てきます。あー不安だ、あーどうしよう怖い!という場面になっても、いざ大人になって社会に出ると、それをあからさまに見せていいわけではなくなっていきます。(とくにプレゼンテーションや営業など)

現代に生きる私たちにとって、ありのままの自分を知りながらも、マイナスな気持ちをコントロールしたり、いい意味で「他人が見たらどう感じるか」を気にして逆手に取ることも、生きる知恵といえるでしょう。

そんなとき、舞のもつ鍛錬の力を知っておくのもアイデアの一つです。もちろん、いまの時代においてはダンスのように身近なものではありませんし、ちょっと真似してみてできるようなものではないでしょう。だからこそ鍛錬にふさわしいといえます。

実際に仕舞を教わってみると

すり足によって足裏全体で地を踏みしめるような感覚
重心を下に維持した体重移動
・肩を下げるなどで自然と深くなっていく呼吸
・非日常的な稽古という時間と程よい緊張感

など、人それぞれに心地よさを感じられることと思います。

さらにでは

腹筋を使い、のどの奥が開くような発声
・とにかく大きな声をおもいきり出せる開放感

も得られます。

ただ「教えてもらおう」「楽しもう」という姿勢だけではなく、自分で練習してきたことが正しいかどうかを見ていただこう、教えていただこうという思いが芽生えやすいのも、伝統芸能ならではではないかと思います。いわゆるレッスン、と同じ意味とはならないのも、このあたりに秘密があるのかもしれません。

■信長の有名な「うつけ」「人生五十年」のエピソードを通じ、皆さんの信長に対するイメージは変わられたでしょうか。

歴史上の人物には魅力がいっぱいです。ごく一部の史実からでさえも、少し角度を変えて見てみることで、いまを生きる私たちにとってとても多くの気づきが得られます。

きっと信長は、戦国の世に生まれたから、織田家の当主だから強かったのではなく、若い時分から、自ら日々の鍛錬を行い、そして自分をよく知って演出を工夫し続けたからこそ、のちの歴史に残る功績につながったのでしょう。

真花塾は、”明日使える古典”をモットーに、大学生や社会人になっても皆さんの学びを応援しています。

2019年10月29日

学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

妙心寺塔頭 退蔵院 難問こそ楽しくアイデアを!「瓢鮎図」【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

お庭の美しさと呈茶がたのしめるお寺として、妙心寺の数多い塔頭のなかでも印象に残る退蔵院。かつ、禅の面白さに触れることのできる点で、非常に貴重な場所ではないかと思います。

写真の撮影時、季節は初秋。緑あざやかな木立が作り出す、光と影の美しさがとてもステキでした。

なかでも奥深い示唆を与えられる思いがするのは、如拙による水墨画、国宝「瓢鮎図」。歴史の教科書で見覚えのある人も多いのではないでしょうか。

中央に描かれている男性が、腕を突っ張りながら両手で瓢箪を持っています。水には、大きなナマズがどーんと泳いでいます。男性は何をしようとしているのかというと・・・ナマズを捕まえようとしているといいます、しかも瓢箪を使って。

「瓢箪でナマズを捕まえることができるか」

この問いの発案は、室町幕府四代将軍、足利義持です。画僧の如拙が絵を描いていますが、瓢鮎図の上半分を占めるようにびっしりと書かれた文言は、当時の禅僧たちによる「問いの答え」です。全部で31詩にもなります。

それにしても、表面ツルツルの瓢箪で、同じくツルツルにすべる鯰って、本当に押さえつけて捕まえられるものでしょうか。うーん・・・無理っぽくない?と誰もが思いますよね

31の「回答」である詩のなかから、印象的なものを挙げてみます。

■またどうして瓢箪で鯰をおさえようとするのか。
魚はそれすら意識せず、広い水の中を泳いでいる。それを同じように、人も無限の道(どう)にひたっているだけなのだ。

■客観的には“大笑い”
鯰の頭をおさえ、しっぽもおさえ、瓢箪は左へころころ、右へころころ
男は倒れて泥んこ。側で見る者にとってはクスクス笑うのみ。

■そのうちに鯰ではなくなるぞ
ただ水辺で瓢箪をつかっておさえていても、転がるだけた。鯰をおさえようとしてもどうしようもない。むしろ鯰は(そばに生えている)竹に登り、龍となるだろう。

面白い。31こ全てが、回答になっているような、なっていないような・・・いや、やっぱりなってない(笑)。

義持はこの謎かけにおいて、なにも完ぺきな答えを求めていたのではなく、出題そのものを楽しんでいたのだそうです。そして、回答する禅僧たちも、くすくすと笑いながら楽しんで考えていたのだといいます。「瓢箪で鯰なんて捕まえられるわけがないでしょ。そんなことを考えるよりもさ・・・」と斜め上のこたえを考えめぐらせる、彼らの笑いながらも真剣な表情が目に浮かぶようです。

禅といえば、座禅ですね。その座禅の目的も、大きく2パターンあると聞いたことがあります。ひとつは「無」になるための座禅、もうひとつは「あるテーマについて考えを巡らせる」(公案)ための座禅です。

後者について、公案とはことばを駆使して思考をすることです。悟りに至るために非常に重要だと言われていますが、興味深いのは同じ一つの公案であっても、禅僧たちの解釈はけっして同じではないことです。あえて、バラバラである解釈から学び取ることが大切なのだと思います。

あまり日常で「禅」を意識するチャンスの少ない私たちにとっても、ことばを読み、ことばを知り、そして気づいた事柄を自分のことばで表現することこそが「自分らしさ」を得ることに繋がります。

人は、幼児、小中学生、高校生を経て、大学生そして大人になるにつれ、学習の目的も姿勢も大きく異なっていきます。それでも「読み・書き・知り・努力を楽しむ」という学びの本質は同じです。

それは、内容をただただ丸暗記することに満足したり、誰かが述べる「正答」を覚えるだけだったり、自分で工夫することなく、指示された勉強「しか」やりたがらないうちは、けっして体得できないものです。ましてや楽しみを感じることはできません。

ですが、実社会は「すぐに答えが出そうにない問い」であふれています。ざっと仕事で求められるものを思いつくだけでも、仕事の効率化、顧客心理のつかみ方、商品開発、組織の活性化など。実際に挑まなければならない課題は、現場に合わせて細分化すれば数えきれないくらいです。

瓢鮎図を目の前にした禅僧たちのように、たとえ「そんなすぐに答えが分かるわけがない」と思ったとしても、「だからこそ起死回生のアイデアを」と楽しんで考え抜いていきたいものですね。

お庭での安らぎも、お抹茶とお菓子のおいしさも、そして悩み考えることの面白さと・・・。いい時間が過ごせました!

2019年6月23日

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紫陽花の三室戸寺と『吾妻鏡』の思い出【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

治承四年五月大廿七日戊寅。官兵等宇治の御室戸を燒き拂う。
是、三井寺の衆徒が城郭を搆えるに依て也。
同じき日、國々の源氏并びに興福、園城、兩寺の衆徒中で件の令旨に應じる之輩、
悉く以て攻撃被る可し之旨、仙洞に於て其の沙汰有りと云々。」

こんにちは!真花塾塾長ヨシカワです。今回の【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】記事は、『吾妻鏡』の引用からスタートです。


私の三室戸寺との出会いは、大学2回生の春でした。たしか「日本史なんとかかんとか特講」という名前の授業で、『吾妻鏡』の治承4年の話をひたすら読み、語句を調べながらその背景を知るというものです。


高校時代は(一応)理系、大学受験は世界史で、日本史は中学レベルの知識しかなかった自分にとって、大学ではこの授業は本当に、いちばん苦しかったです。

図書館で、吉川弘文館の大きく重たい辞書などを引きながら、毎日夜遅くまでいくら格闘しても、まったくもってよくわからない。当てられそうな部分だけテキトーに調べ、まぁいっか、と予習を終えたこともあります。(おっと、受験生にはこれナイショ!)

もちろんその「なんとか特講」の横井先生には毎回叱られ続け、「分からないならなぜ辞書を引こうと思わなかったのか」「だいたいおまえ、ちゃんとした辞書を引き方も知らないまま大学に来たのか」と何度も言われたものです。

とくにはじめに書いた部分の、しかも「廿七」「戌寅」からさらに「御室戸」(三室戸寺のことです)の漢字が読めなかったときにはとんでもない大目玉でした。・・・当たり前ですねぇ(苦笑)

いまにして思えば、この「辞書を的確に引く」「情報をただ覚えるのではなくて目的をもって整理する」ことをがっつり学べたわけですから、やはり相当鍛えられたものです。


こうして十数年が経っても、色とりどりの紫陽花を眺めながら、「おまえ・・・どんだけ調べ方へたくそか!」と顔をゆがませて嘆く横井先生を思い出します。


さて、この紫陽花のなかには、ハート型のもあるそうです。2年前にはじめて訪れたとき、人混みの中でどこからか「これハート型ちゃう?!」と聞こえてきたのを合図のようにして、いっせいにウォーリーさんをさがせ!の紫陽花版が始まりました。


もちろん紫陽花はのべ1万株とききます。さらに花々の数を考えると、ちょっとめまいが(笑)。もう四葉のクローバーどころの騒ぎではありません。全然見つけられなかった・・・。


横井先生に言わせると、これも「調べ方がへたくそ」のうちに入るのかもしませんねぇ(笑)
いつか見てみたいものです(^^♪

2019年5月28日

ケーススタディ, コミュニケーション, 古文, 大学生, 大学生講座, 学び, 就活, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

必見!体験型コミュニケーション研修をお探しの企業研修ご担当者様へ【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

初めまして。真花塾の吉川真梨と申します。当塾は、古文漢文を武器に大学受験を目指す高校生のためのオンライン塾です。いわゆる「お勉強」の古典を教えています。

じゃあ、なぜ古典を教える大学受験指導塾の人間が、社会人向けの体験型コミュニケーション講座を開催するのか?

とてもよく質問されます。

私の思いはただ一つです。

古典を”明日使える知恵”として活かしてほしい。勉強科目として学んだ人がたくさんいるからこそ、今度は実社会のコミュニケーションの場で、それを本当の意味で役立ててほしい。

このようなわけで、就職活動に励む大学生や若手社会人の方にも”明日使える古典”として学びを深めるための【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】を立ち上げました。最近では、学校や塾の先生をはじめとする教育関係者の方々も関心を寄せていただいています。

明るい”アホ”がいちばん強い

ただいまご参加お申込み受付中の、狂言の登場人物に学ぶ!役立つコミュニケーション講座inOBPアカデミアは、狂言《仏師》の台本を音読しつつ、「アホの強さ」つまり「取り繕わない自分でいることの強さ」を知るのを目的としています。

音読と一口に言っても、これもまた「お勉強」とは異なります。

狂言の実演講師に「サラリーマン狂言」でおなじみの河田圭輔氏を、さらに関西を拠点に能楽研究を長年続けておられる能楽研究家の朝原広基氏をお迎えし、いわゆる座学研修とは一線を画す講座づくりをしています。

もちろん、「人を育てる」「人をやる気にさせるコミュニケーション」の切り口から、真花塾塾長の吉川もお話しさせていただきます。

2017年に春に当塾が大学生に行ったアンケート結果によると、社会人として身につけておくべきスキルは何か?という問いについて、103名のうち97名が「コミュニケーション能力」と回答しました。

若者も「社会に出たらこのままではいけない!なんとか自分のコミュニケーション力を高めないと!」と、なにか突破口を探しつづけています。

ですが、コミュニケーションの質は「相手がいること」を前提としています。

だれかれ構わず話しかけてみたり、やみくもに経験を積もうとしたり、方法論を学ぶだけでできるようになるというものではありません。

ときに空回りしつづける若手社会人の皆さんに、狂言の登場人物に自分自身を投影させつつ、「台本の音読」という体験型の講座を通して、自分の殻を破ってほしいと考えています。

実社会で必要とされるコミュニケーションは、”明るいアホ”でいられること。

そこにいるだけで場が明るくなりお話もはずんだ結果、お客さんがどんどん集まったり、チームを活性化させるような人、そして周りから一目置かれるような人って、いませんか?

その第一歩は、自分がまずコミュニケーションに対するこれまでの意識を変え、考えや行動を「ほんものの社会人」としてふさわしいよう変えていくことなのです。

企業向け「狂言をつかった体験型ビジネスコミュニケーション講座」お問い合わせも随時

また、当塾では企業向け研修講座(御社に出張します)のお問い合わせも随時受け付けております。

狂言を使った体験型ビジネスコミュニケーション講座とは

お問い合わせはコチラ

真花塾にほん伝統文化プロジェクトは”明日使える古典”を、社会で活躍する皆さまにお届けする全く新しい古典教養講座です。

【お申込み受付中!】2019年6月9日(日)狂言の登場人物に学ぶ!役立つコミュニケーション講座inOBPアカデミア

2019年4月27日

Q&A, こどものチカラ, コミュニケーション, ネット塾, 中学部, 保護者サポート, 動画添削, 受験, 古文, 塾サポート, 大学受験, 学び, 学校の課題, 講師ブログ, 進路指導, 高1, 高2, 高校部

進学校で勉強に苦しむ高校生の君へ

君はいま何年生でしょうか。高1生?それとも高2か、受験を控えた3年生かもしれません。部活には入っていますか?きっと一生懸命に練習にはげんでいることでしょう。部活動がないとしても、週末は学校の宿題などの「しなければならないこと」をするだけで、あっという間に過ぎてしまいますね。

頑張り屋さんの君のことです。中学校ではきっとがむしゃらに勉強して、いい点数を取ろうと気合を入れて勉強していましたよね。そして学校の先生からも塾の先生からも、もちろんご家族からも、もしかしたら友達にも「すごい!」とほめられて、きっと「高校生になったらもっと頑張ろう!」と期待を胸に高校生活が始まったと思います。

高校生としての学校の勉強は、君にとってどうですか。

難しい!という実感はそんなにないと思います。ただ「どうしても」「なんとなく」「いつからかよく分からないけど」点数が取れなくなったのでしょう。最初の挫折が学校の宿題だったり、「授業で当てるぞ」と言われて必死に予習した内容がさっぱり分からなかったり、板書をしない先生にびっくりして、授業を聞いていたのになんにもノートが作れずに自分に絶望したり・・・そんな小さなつまずきだったはずです。

でも、君は自分を責めてはいけません。中学生のころの「勉強ができて当たり前だった自分」を忘れないでください。それが本来の君なのですよ。

ただ、高校生としての勉強の心がけを、ガラッと変えてみることだけはおすすめします。

それは

気合いを捨てること
「だれかに教えてもらえて当たり前」という考えをやめること
勉強時間が確保できていない事実を隠さないこと
「わからないときになにかで調べたり、答えを見てはいけない」とは決して思わないこと
テスト前だけ頑張ろうとはしないこと
学校の授業だけやっていたらダメだ、とは思い込まないこと

・・・そう「やるべきこと」ではなくて「やめるべきこと」を意識するのです。

じゃあ、これらのことを捨てることができたとして、君はそれからどうすればいいのか?

まるで空っぽになった水槽にまたきれいな水を貯めるように、「大学受験にふさわしい考え」で頭と心を満たしていくのです。

具体的には

・毎日全科目勉強すること
・学校の授業と宿題の理解に全力投球すること
・学校の先生への文句や悪口をいっさいやめること
・自分から毎日1つは質問すること
・分からない問題はすぐに「調べる」または「答え合わせをして解説を読む」こと
・眠くなったりやる気がなくなったら、音楽を聴いたりせずに教科書などを音読すること
・塾の先生にはグチではなく相談をすること
・家族には「弱音は吐いたりもするけど心配しないで」と言えること

ほかにもまだあります。今すぐ君にできることばかりです。気合いなんて不要。もう気合いだけで乗り切れるようなコドモの勉強は、君は卒業しているんです。

この「考えの切り替え」はそう簡単にできることではありません。人生には崇高な矛盾がつきものです。君が「考えを変えよう!」と決めて実行しようとしたとき、君を心配するあまり、反対する大人も出てきます。

迷うこともあるでしょう。それでも君は、「心配しないで」と笑顔で手を振って告げて、自分の信じた道を、まるで牛が一歩一歩ずっしりと歩みを進めるように行くのです。

君の新しいこの道のしるべになるのは、もしかしたら「ネット添削」です。私はそんな君ためにこの塾を作りました。いま困っていることの相談だけでもかまいませんし、この文章の感想でもいいです。いつでもメッセージをください。

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2019年4月15日

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ニッポンはわさびの味?そして勉強も…【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

こんにちは!真花塾 塾長ヨシカワです。

“明日使える古典”をモットーにする真花塾にほん伝統文化プロジェクトですが、今回はがっつり「大学受験生指導」について。

え、塾なのに伝統文化?と思われた方、ぜひ塾長ヨシカワのプライベートとともに、当塾の指導理念を知っていただけますと幸いです。

さて、わさびといえばあの鼻にくるツーンとした辛さが思い浮かびます。あぁお寿司食べたい!そのたっぷりのわさびにしばし涙したあと、どんな感覚になりますか?

唐辛子なら汗が出て、口の中にも刺激がまだまだ続きますが、わさびはなぜか。すーっと冷静になって食べることに集中できる、私はこの落ち着いていく不思議な感覚がとても好きです。

この同じ感覚が、能楽堂でも味わえます。もちろんお能を「観る」ことも大好きですが、舞台の熱気が高まれば高まるほどに、すーっとどっしり、落ち着いた感覚に襲われるのです。まさに腑に落ちる

何かの本で、このようなことが書いてありました。4年ほど前のことで、著者もタイトルも忘れてしまいましたので、一字一句再現できているわけではありません、ご容赦くださいm(__)m

「西洋音楽では、その高まりに応じて観客の興奮もどんどん高まっていく。指揮者が息を止めれば同じように息を止め、同じように息を吸うことにより、観客の重心もどんどんに向かう。

一方では、観客は演者と同じように息を『吐く』。そのぶんだけ重心はどんどんに行き、ストーリーが進むにつれて心地よさが能楽堂いっぱいに広がる。」

どんなに盛り上がっていても、どこか冷静で心地よく落ち着いている。そしてしっかりと自分の内面に目を向けている。

おぉ、なんか強い

この強さ、いったいどこで発揮できるのかといえば、「いざというとき」です。非常に漠然としていますが、現代に生きる私たちにとって、「いざ!」は精神的な強さを必要とするときです。

なにかの事情で誰かを凌駕しなくてはならない「一時的なたたかい」も十分にそのときですが、大切なのは、なにかを「継続するための強さ」つまり「自分とのたたかい」です。

仕事、対人関係、そして勉強(とくに受験勉強)。もっといえば、人生も数十年単位なのですから、生きること自体が「いざというとき」の連続なのですね。

ということで、真花塾のネット添削では、ことさらに生徒を「あおる」「励ます」「気合を入れさせる」ようは指導はしません。よほど目に余るときや、どうしても急いで生徒に目を覚ましてもらわないといけないときに限り、本気で心をこめて叱り飛ばします。

厳しい指導を受けること = ガンガン叱られること、というわけではありません。いつも怒られ続けて当たり前、大人に気合を入れてもらって成長した気分になって、「先生すみません!次はがんばります!!」と言えばそれだけでなぜか許してもらって、ちゃんちゃん。

こんなことを習慣づけてしまえば、先生がいなければ頑張れない、という残念な受験生を作り出します。

じっくり本人にえさせ、自分の言葉で質問を言わせ、解答解説を自分でませて、辞書や参考書で調べさせる。

この過程を経て、本人が自分から「どうしてもわからない」「調べても考えても解決しない」と言ったときこそが、講師の本領発揮です。

調べつくして考え抜いた生徒は、おなじ「分かりません。教えてください」と言っているように見えて、調べて考え抜いていない生徒に比べるとはるかに重心が下にある状態です。

落ち着いて、解説を受け入れる心身の準備が整っているので、指導する側がことさらに熱を見せすぎずとも、すっと理解します。さらに、「自分がどこで間違ったのか」をよく自覚しているため、自信を持って「もう間違えないぞ」という自分への信頼を築いていきます。

これを繰り返して、人間は成長します。

大学に入学する年齢は「大人」として認められる年齢と重なる。つまり大学受験は精神的に幼いうちには成功しないのだ

とある大学受験指導のプロであるN先生がおっしゃっています。

私もまったく同じ思いです。

かつて大人にふさわしい年齢なれば着物の帯を腰の位置まで下げたのと同じく、重心を下にできる人間がほんものの大人であると強く思います。