古文を訪ねるカテゴリー記事の一覧です

2018年9月14日

古文, 古文を訪ねる, 学び, 教養講座, 狂言のことばをみんなで読んでみる会

11月1日は古典の”記念日”

高校生や一般の方・大学生の方など、古典の情報発信を真花塾は心掛けております。開校当初から、先人たちが現代にまでつなげてきた文化や伝統のリレーを絶やしたくないという思いを持ち続け、いまがあります。そのため、受験古典の指導者の身ではありますが、真花塾代表の吉川も定期的に古典や古典芸能のなどの情報収集に努めています。今回は私が近々参加する予定のイベントいついて、少し紹介いたします。

ご存知ですか?11月1日は「古典の日」

いまではコンピューターを始めとするITが普及したことで、さまざまな史実がいつ起きたのか、それはどんな日だったのかなどを、正確に知ることができます。何気なく過ごしているような365日も、歴史をたどると毎日「何かの日」ということになります。
11月1日は古典の日と呼ばれることもあります。紫式部の記録に、11月1日に『源氏物語』に関する記載があったことが端を発しているようです。また11月1日には、教育の日だともされています。学びの秋さながら、この日は学びにあふれている日と言えるのかもしれません。

11月1日に古典フォーラムが京都で開催

歴史的な建造物や人物にまつわる事柄多い関西エリア。イベントも多く行われています。今年も京都では「古典フォーラム」が開催されます。無料で参加もしやすく。誰もが和歌や古典文学、または、そのゆかりの場所に関する講演を聞くことが出来ます。文化的な意味合いが多い11月1日、足を運んでみる価値が大いにあります。古典の重要性を日ごろから口にしている私からしても、とても興味深いフォーラムで、今年こそはと参加することを決めました。

「いま」という日の土台を振り返りませんか?

仏教的な思想にもよるのではと思いますが、生きるということは命のリレーが続いていることの証なのだと言われることもあります。もしなにかの理由で、それが途中で途切れてしまったら、いまの私たちは存在していません。いまの私たちに繋がっている一日一日の繰り返しをたどっていくと、かならずさまざまな、歴史上で話題になった時代にぶつかります。その過去の一日の積み重なりにより、古典芸能は生まれました。いまの私たちのご先祖様が目にし、耳にしたであろう文学や作品に触れることが出来る一日として、11月1日を迎えるのもよいと思います。

今回は真花塾の吉川が古典イベントの一つを紹介させていただきました。ちなみに当塾では、一般向け古典教養講座を定期開催中です。詳細は以下をご覧ください^^

【真花塾一般向け教養講座 ご参加お申し込み受付中!】
2018年10月21日(日)第3回狂言のことばをみんなで読んでみる会 テーマ《仏師》

【提携塾サイトご紹介】
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個人指導塾拓社

2018年3月20日

古文を訪ねる, 講師ブログ

シリーズ古文を訪ねる 天橋立(京都府)

町内会の天橋立バスツアーに参加しました!
真花塾スタッフと一緒です(^^)

お天気に恵まれて、皆さんに楽しませていただいて、本当にいい一日でした。

案内板を見た瞬間、こんなときにも、ついスマホで即興品詞分解( ^ω^ )笑

黄色と青でなぜ色分けしたのか、もうお分かりですね!

黄色→助詞。「の」は格助詞で「が」に代わることができる主格。コレ大事!「や」は詠嘆の終助詞で、直前が「なれ」と已然形になります。

青→助動詞。もちろん過去の「き」の連体形。直前が「かよい」で連用形接続。

では現代語訳ヨシカワ版。

古に、神が何度となく降り立ったという跡は、まさしくこの場所なのだなぁ。天橋立が雲の向こうに続いてみえる。

文法は、覚えておけばこうやって瞬時に意味が取れます。覚えてからがスタートですよ!

上記の現代語訳は、さらに天橋立の由来を汲み取って、感じたままに表現してみました。

以上、行楽シーズンも古文を楽しましょうの巻でした^ ^!笑

2018年3月20日

古文を訪ねる, 講師ブログ

シリーズ古文を訪ねる 誠心院(京都市)

和泉式部ゆかりのお寺、誠心院です。四条河原町から歩いて5分。いわゆる繁華街にポンと現れます。

軒端の梅そのもの、というわけではないそうですが、和泉式部が愛でたのに因んで、梅が植えられています。

ですが、「知らぬ人の申せばとて用ひ給ふべからず」と、彼女は言うのかもしれません笑。「花も主を慕ふかと」感じるのは、道真と同じなのですね。梅の花って可憐だ( ^ω^ )

さてさて、ということで今回も品詞分解!皆さんご存知の百人一首です。

まずは和泉式部さん。
ポイントはやはり推量の助動詞「む」の連体形。さらに動詞「あり」の否定に続くので、「私は生きていないであろう」となります。えぇ!いきなりの命短し宣言!

そして終助詞の「もがな」。〜したい!という、実現不可能だと知りつつも抑えられない願い。つまり「私の命は長くないだろう。この世を去る思い出に、もう一度あなたに会いたい。会いたいの!」という、熱い思いが伝わってきます。さすが恋に生きた歌人。

そして娘さんの小式部さん。
即興で詠んだと伝わっていますが、技巧を凝らし、自分の言いたいこともパシッと含み、何やら爽快感満載です。
「いく」は「行く」と「生野」の掛詞。「ふみ」は「踏み」とお手紙の「文」との掛詞。さらに「橋」の縁語(ざっくり言うと、連想させる言葉です)。
そして「まだふみも見ず、天橋立」と倒置法まで駆使している。すごいね小式部さん!

彼女の歌は、母の和泉式部による代作なのではないかと噂され、歌会にあたって嫌味を言われてしまいます。「お母さんに早くお手紙書いてお願いしないといけませんねぇ」。

これを聞いた小式部は、代作じゃねぇし!とばかりにこの歌を詠み、母は生野を超えた丹後にいる、私は行ったことないし、母からの手紙なんて見たこともないし、要するに代作じゃねぇし!!という主張を込めたわけです。
いやもちろん、もう少しお上品だったとは思いますが(^◇^;)

百人一首なんか覚えて意味あるの?と言う小中学生はたくさんいます。うーむ、意味なんてありませんよ。逆上がりできて意味あるの?って言ってるのと同じ。意味は自分で「見出す」ものです。

必要性をもし本当に感じるとしたら、高校古文を始めてからではないでしょうか。そのときに「あぁ子どものときに覚えた歌は、本当はこんな意味があったんだ!」と気付くでしょう。古文の奥深さ、先人の生き方から感じるものもあるでしょう。

先生方や保護者の方にもしお願いできるなら、「意味あるの?」と聞かれたら「意味はこれから自分で見出すものだよ、そのときのために今はまず覚えて、口ずさむことが大切なんだよ」とお答えください。

決して一緒になって「そうだよねぇ適当にやっといたら?」なんて言わないでくださいね。

意味がないと感じたのは、あくまでご自身のお考えなのであって、子どもたちにまでそれを押しつけるようなことは、してはいけないのです。

花の咲く時期は人それぞれ。いまは分からなくても、必ず自分で気づく日が来ます。