講師ブログ

2020年3月12日

Q&A, コミュニケーション, ネット塾, 中学部, 保護者サポート, 動画添削, 受験, 古文, 大学受験, 学び, 漢文, 講師ブログ, 進路指導, 面談, 高校部

入塾手続きの前に知っておきたい!”個別指導”とは【高校生指導Q&Avol.19】

「うちの子、“こんな感じ”なので、やっぱりどうしても集団塾よりも個別指導じゃないとと思いまして・・・」

大学受験を目指し、このように受講希望されるのは高校生ばかりではありません。中学生も増えています。

 

古典特化のネット添削&ネット授業を行う当塾において、中学生さんの場合は、やはり保護者の方がホームページをご覧になって、お問い合わせくださるというケースがほとんどです。

とはいえ、中学生のみなさんもいつか必ず高校生となる日が来ます。そして、大学受験を目指される日が来るでしょう。

ですから、中学生の方はすべて高校0年生と思って接しております。

 

お電話で、お子様についてお聞かせていただくと、小学校のときのお勉強の好き嫌いや、得意だったことなどが分かります。中学受験のときのがんばり、学校の先生にほめられたこと、家庭教師の先生によく注意されたことなど・・・。

それらはすべて、ご本人にとって成長の証であり、強烈な記憶となって「いま」を作っています。

 

同じように、保護者の方にとっても、お子様の「成功」の体験や、反省に迫られた経験は強く残っておられることと思います。

その積み重ねで「やっぱり個別指導でないと伸びない、合わない」というご判断をなさり、お問い合わせにつながることはよくあります。

 

ただ、もし本当に「集団指導が合わないから」という理由のみの場合は、「個別」に絞られる前に、少しお子様と話し合っておいていただきたい点がございます。

それは、原則、個別指導のほうが“断然厳しい”ということ、そして“自分で自分を変えていこうとしない生徒さんにとっては、その指導が逆効果になる可能性がある“という現実です。

 

個別指導は、指導する先生と生徒さんの距離が、物理的にも精神的にも近いものです。

その分生徒さんの、勉強へのマイナスの感情や甘えも、ストレートに先生に伝わります。それらは無意識的なだけに、とてもデリケートな問題になりがちです。

 

つまり、勉強についての、きめこまかな指導を望まれての受講であると同時に、「勉強のレベルアップのための努力」の枠を超えて「生徒さん自身の人間的な成長」を強く求められるのが、個別指導なのです。

 

たとえば、このような場合が重なると、どうしても健全なコミュニケーションは難しくなっていきます。すれ違いが大きくなれば、当然指導の効果も薄れます。

■添削や教材データを受け取ったときに「受け取りました」というレスポンス「ありがとうございます」という気持ちを言葉にして伝える習慣がない

■授業時間にことわりなく遅刻しても「すみません、実は・・・」と説明することができない

■しょっちゅう忘れ物をする

■授業中に電話が鳴ったときに、ことわりなく当たり前のように電話に出てしまう

■授業をさえぎって学校の先生の悪口を言い続ける、友達や家族の話を延々とする

■志望校を相談なしにコロコロと変える

■いつでもどんな場合でも「先生が生徒の個性に合わせてくれるのが“個別指導”だ」と思い込んでいる

など。

 

集団塾なら、無理に自分から担当の先生に言葉をかける必要はありません。配られたプリントなどは黙って受け取ってももちろん構いませんし、遅刻などで叱られたときは「すみません」と言えばそれ以上の追及はなく、自分で事情説明するのを迫られる必要もないのかもしれません。

いい意味で「先生とほどほどの距離感でつきあう」ことができるのです。

 

でも、個別指導では、先生と生徒が真っ正面から向き合い、互いのエネルギーをやりとりしながら時間を過ごします。

そんなとき、健全なコミュニケーションが取れなければ、当然叱ることになります。

成績と直接関係のない部分で、先生は良くない点を指摘し、人としての成長を促しながら、生徒さんが「なぜ自分は受講して、どんな結果を望むのか」という本来の目標と向き合ってくれるように導かなくてはなりません。

その時間は、パッと見では勉強の指導と関係ありません。ですが、志望校合格のための指導には不可欠です。

それを「厳しくきめこまやかな指導」と受け取るか、それとも「キツい指導、余計な声かけ、しつこいやり取り」ととらえるのか・・・それは生徒さん本人と保護者の方の価値観しだいです。

 

いざ入塾してから「こんなはずではなかった」と感じながら、自分に合わないと言い出せずに受講なさることになってしまっては、その時間はご本人にとって大きな損失です。そうなる前に、ご入塾を検討されている段階で、ご家族でよく話し合ってください。

 

個別指導は、けっして「集団塾についていけないから選ぶ」ものではありません。

「自分の目標に向かってがんばりたい、そのために先生としっかり向き合いながら、きめこまやかな指導をうけたい」と思える生徒さんを、きっとどの個別指導の先生も待っています。

 

”超・個別指導”のネット塾である真花塾では、塾長自らが責任を持って、一人ひとりとまっすぐに向き合います。そして、皆さんにとって何よりも大きな幸せである「志望校合格」のための指導をします。

さらに、私が生徒さんや保護者の方に書くメールやLINEは、だいたい長文です。指導の意図をご家族みなさんで共有していただけるよう、言葉を尽くします。

課題の提出が滞る場合は、生徒さんを叱るよりも前に「なぜできなかったのか」をともに話し合い、同じことが二度と起きないように、課題の出し方を工夫し、その分だけご本人の創意工夫も引き出します。

 

これが“超・個別指導”のキャッチコピーにこめた信念であり、塾としての覚悟です。

いま、なぜ個別指導にご興味を持たれたのか。
これからご本人としてもご家族としても、どのように変わっていきたいのか。

私といっしょに、その対話を重ねて、その答えを見つけてみませんか。

2020年3月2日

ニュース, 講師ブログ

オンライン予約ができるようになりました!

2020年3月より、真花塾HPにてオンライン予約ができるようになりました。
https://sanakajyuku.com/reservation/

電話相談
→新規ご受講に関するご相談
zoom(インターネットによるビデオ通話アプリ)面談
→生徒さんの進路相談や志望校決定に関するご相談

その他、すでに在籍しておられる生徒さんは、添削指導のオプションである
zoom(インターネットによるビデオ通話アプリ)授業
の予約も可能です。

今後ともよろしくお願いいたします。

2020年1月16日

真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

縣神社・人の生死と神話のつながり【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

縣神社は宇治にある神社で、祭神は花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。またの名を神吾田鹿蘆津(かみあがたあしつひめのみこと)といいます。

山の神である大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘であり、天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)の妃。言わずとしれた「貞操の女神」として、いまでは人々に、家運隆盛と商売繁盛、結婚、安産を願われています。

『梁塵秘抄』には、このような和歌がおさめられているそうです。

宇治には神おわす
中をば菩薩御前 
橘小島のあたぬし 
七宝蓮華はをしつるぎ

さて今回は「天皇が有限の命になった理由」とされる、美しい木花開耶姫と、その姉である不器量な磐長姫(いわながひめ)についてのお話からです。

『古事記』にはこのようなくだりがあります。

瓊瓊杵尊は、自らが恋に落ちた相手である、木花開耶姫を妻にと大山祇命に願い出ます。そのとき、大山祇命は磐長姫も一緒に妻にと差し出しました。

瓊瓊杵尊は醜い磐長姫を拒否して追い返してしまいますが、実はこのことで「岩のように永年に変わらない」という健康を手にすることができませんでした。木花開耶姫は、桜が満開になったときのように栄える一方、すぐに散ってしまうことの象徴です。天皇(すめらみこと)の寿命はこうして、永遠ではなくなり死が避けられなくなったのです。

古代、この避けられない「死」をどのようにとらえるか、日本だけでなく世界中でさまざまな神話として伝えられています。それらを「死の起源説明神話」といいます。

■伝令型
アフリカに多いタイプで、神の心変わりによって、人は永遠の命ではなくなってしまったという内容です。神ははじめ、不死であるべきだと考えました。そして、たとえばカメレオンなどを伝令に選び、人のもとに行かせたものの、途中で考えが変わります。人は死ぬべきだという結論になりました。そこで、カメレオンよりも足の速い、トカゲなどの動物を伝令としたところ、トカゲはカメレオンをしっかり追い抜いて走っていきました。こうして「人は死ぬべきだ」という神からの伝言が人に届き、人は寿命を持つようになったというものです。

■処罰型
旧約聖書の「エデンの園」がよく知られていますね。ですが、人はもともと不死であったのが、罰を受けて死が定められたという内容は、他にもあるようです。

■代償型
はじめ不死だった人が、火などの大切なものを手に入れたことで、死ななければならなくなりました。

■対立型
神々の「人は死ぬべきだ」「いや、不死であるべきである」という意見の対立を経て、「死ぬべき」との考えを持った神の意見が勝ったというものです。ちなみに一説によると、イザナキとイザナミの黄泉比良坂での論争も、これをもとにしているといいます。

■選択型
瓊瓊杵尊のケースです。人間自身が、花のように変わり移るものを選びとってしまったために、「不死」は手にできませんでした。

5つのタイプ、皆さんはどの型に興味を覚えますか。

私はやはり「選択型」です。「死すべきだ」という望まない結論が出されてしまったとしても、それでも「人みずからが選んだ」と思えば受け入れられるような思いがします。

瓊瓊杵尊も、大山祇命から「せっかく永遠の命を思って磐長姫を差し出したのに」と知らされたとき、大きな後悔をしましたが、抵抗することなくそれを受け入れています。

人類は長い歴史の中で、何度も争いを重ねてきました。私は、なにかの書物で、「その土地に住む人々を本当に支配したければ、彼らが心を寄せる神話を破壊しろ」という考えがあると聞いたことがあります。

逆に言えば、その土地に住む人々について本当に知って歩み寄ろうとするならば、彼らの神話を調べてみるとよい。

日本の神話『古事記』や『日本書紀』も、大きな枠組みでは「古典」のひとつです。

一見、とても信じられないようなストーリーにも、私たちの考えや慣習として、根付いているものが多くあります。

神社めぐりが好きという方はぜひ、ご祭神に注目してみてください。きっと何か新しい発見とその喜びがあると思います。

2020年1月12日

学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

松花堂庭園~文化人・松花堂昭乗の残した書簡から”人脈”を学ぶ【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

京都府八幡市にある松花堂庭園は、石清水八幡宮の高僧である松花堂昭乗の草庵を起源とします。「松花堂」とは、草庵茶室の名によります。

庭園にはこのほかに、待隠(遠州好「閑雲軒」写)、梅隠(宗旦好)、竹隠の3つの茶室があるだけでなく、とくに椿や竹といった草花が季節ごとにたのしめます。

松花堂昭乗は、茶人としてだけでなく画人や書道家としても知られている文化人です。高い芸術性と広い人脈がうかがえる作品や記録が残されています。

また、彼はこまやかな気配りをもって、長く丁寧に手紙文を書く人だったといいます。利休が残した手紙の「長文」とされている書状の、2倍以上の長さの手紙を、いつも書いていました。

例えば、近衛信尋と徳川義直とが会談するにあたり、徳川の家臣である木瀬吉十郎に宛てた内容はこのようなものでした。(淡交社『淡交十月号』第56巻第10号から引用)

「近衛信尋公がいよいよ徳川義直公とお会いすることになった。私は急な茶会の約束ができ参上できない。信尋公から義直公への進物については、一昨日の御成の時のを参考にされたい。同道する家臣は成瀬隼人、その他である。進物は程良く、貧しくないように。義直公の家臣は長刀を差したり、派手な帷子などは避け、いかにも殊勝な物を。五摂家の装束は烏帽子傍続(小直衣)の由である。朝早く飛鳥井龍雲の所で御装束の着替えがあろう。茶室の準備はできていないようである。他の大名の所は如何であろうか。」

この書簡は、昭乗の人となりを十分に示したものといえるでしょう。

■自分は2人が面会する場に同席できないこと
■進物の内容
■関わる家臣の名前
■服装と着替えの控え室
■茶室(茶会)の準備について
■他の大名の動きを確認

これだけの事柄を考えていれば、手紙文が長くなっていくのもうなずけますね。

一口に会談といっても、本人たちがただ会って飲み食いしながら話をするだけではまったく不十分です。当事者たちがスムーズかつ和やかに話し合いをするには、事前準備が肝要で、仲介する立場の人間の細やかな気配りが求められていきます。

現代における交流の場や仕事上においても同じことがいえますが、「間に立つ人」の存在と動き方は非常に重要で、当事者たちの出会いの成否を左右します。

まして寛永の時代、それも天皇家と将軍家に関わる人物との対談であれば、なおさらです。昭乗はこのように、隠れた政治参加とも言うべき、究極的なバックアップを担ったといえます。

とはいえ、昭乗自身はなにも「重要な会談だから」と特別に思って動いたわけではないでしょう。普段、とくに茶人としてもてなしの場を経験する中で、培われた人間観察眼や物事の本質を見極める判断力が、このように生きているのだと思います。

昭乗は、寛永時代の文化サロンの一員で、それで幅広い人脈を持ち活動をしていたといわれています。

人脈づくりに奔走する若手社員や就職を意識し始めた大学生たちには、なんとも羨ましいことかもしれません。もしかしたら、仕事人として成熟期を迎えている40代以上の方にとっても、次のステージに進むためにあらためて人脈を欲するケースもあるでしょう。

人生はとにかく逆説的にできています。

人脈は求めれば求めるほど、質が低くうすっぺらいものになりがちです。そもそもなぜ自分が人脈を求めてしまうのか、考えたことはありますか?ビジネスのため、それとも新しい出会いを願ってのことでしょうか。実は自分でもよく分からないけれど、なんとなく付き合う人が多いほどいいような気がするから、ということもありがちです。

いくつになってもおのれの得になることばかりを考えている人間は、どんなに隠そうとしても、見る人が見ればすぐにバレます。しかも本人はそれに全く気づいていませんから、周りには余計にあさましく感じられるのです。

うまく立ち回ったとして、はじめの数回は何かを享受できるかもしれませんが、「もうあの人とは距離を置こう」と思われてしまえば、悪い評判を自分で広めてしまうことになります。

まずは自分が、価値を誰かに提供できるような存在を目指すことが先です。そういった意味で、「間に立つ人」の役割に徹することは重要です。

ではいったい、よき「間に立つ人」」を目指す上で、普段からどのような姿勢でいるのがよいのでしょうか。

それは「情報の見極め方・活かし方」を見直してみることです。

周りの人の言っていたちょっとした言葉、口癖、好きな物事、嫌いな物事や考え方などは、ストレートにそのまま覚えることはできますね。それだけでなく、その人の生活時間や今後の目標なども大切な情報です。周りにいる人物のことも、よく見て知っておくことが大切です。

連絡しても相手につながらないようなタイミングにアプローチしても、タイムラグが出て不信につながりかねませんし、その人がこれからどんな活動をしたいと望んでいるかや、何をもって「成功」と考えているかは、利害を超えて人としての信頼関係がなければ伝え合うことはできません。

本気で心をこめて相手と向き合わなければ、本当に相手のために動くことができず、ただのひとりよがりの結果になってしまいます。

昭乗の手紙文の長さは、会談する当事者たちの「成功」とする着地点をともに見据えた上の、昭乗にしかできない役割に徹した結果です。

この人柄に、書、絵画、そして茶の湯といった芸事に裏打ちされる教養と実力が備わっていたのですから、「いざというときには昭乗がいる」と信頼を寄せられる様子が目に浮かぶようです。

現代では、メールやSNSなどの文字ツールは短ければ短いほど受け入れられる傾向がありますね。

でも、重要な場面において「長文が書けない」「長いメッセージ文に拒否反応を起こして最後まで読み通すことができない」というような姿勢では、コミュニケーションの目的を達することはできません。

歴史から学べることは数多くありますが、ただ起きた出来事を知って満足するのではなく、先人たちの遺してくれた記録に触れてみることて、血の通った学びが得られます。

2019年12月21日

学び, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト, 講師ブログ

平等院〜末法の時代の信仰とわたしたち【真花熟にほん伝統文化プロジェクト】

極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ
『扶桑略記』より~

この「宇治の御寺」こそ平等院である。

十円玉の表の絵でよく知られている鳳凰堂。その扉画に、大和絵風九品来迎図が描かれている。

赤衣の阿弥陀如来が、山の尾根をつたうようにして、18人の菩薩と来迎する。一方で、臨終のせまった人は、ごく日常の生活を送る場にいてそれを待つ。

「迎えられること」そして「待つこと」は、死を悟った老人が「お迎えを待つ」という表現をする根本であるのだろう。

さて、もとは道長の別荘であったこの建造物が頼通の手によって「平等院」へと改められたのが、永承7(1052)年。仏教における「末法」に入ったちょうどそのときだそうだ。

末法とは、釈迦の入滅から1000年から2000年を経たあとの1万年間とされている。

釈迦入滅後のはじめの1000年は「正法の時代」といい、釈迦の教えがそのまま正しく残る。だが、そのあとに続く1000年は「像法の時代」といい、正法の「像」の教えになる。さらにその後が「末法」。仏教は形だけで中身のないものとなってしまう。

興味深いことに、末法の時代には、なにか具体的に悪い出来事(たとえば天変地異など)が起こるというわけではない。

仏教のなかでの争いや僧侶の堕落などで、仏教の精神が失われてしまい、正しい修行が行われず悟りも開かれないことそのものが「末法」なのである。

ある理想とされる正しい考え方が、それをうちたてた人物が去ったことにより、その精神性がだんだん薄れていき形骸化するということは、どの組織にもあることだ。

たとえば社訓などに代表される、さまざまな標語やルールなどは、作った瞬間こそが最高のときである。

それが貼り出されて、ことあるごとに守ろう守ろうと叫ばれるほどに、逆説的に人はそれを意識しなくなっていく。まさに形骸化してしまい、「分かっているがやる意味や目的は知らない」という状況になる。

それに立ち会うはめになる人間は、かつての理想とした組織の形を懐かしみ、それがなくなった「いま」を嘆くばかりである。

そして、ひどい場合には「新しく変わってしまった」ときを生きる者への無理解へと変わっていく。

”末法”はあくまで仏教の事柄であるものの、「ある教えのその後」という観点では、非常に示唆に富むのではないだろうか。

末法の到来を恐れた人々は、極楽浄土に往生したいと願う。それが、鳳凰堂をはじめとする極楽浄土の具現化だった。

平等院には鳳翔堂というミュージアムがある。足を踏み入れたとき、ただの「見学」であった平等院の訪れがガラッと変わり、まるで本当の極楽浄土を見ているように感じられたのを覚えている。

同時に、いまでも強烈に印象に残っているのが「不安感」だった。それは、なにも藤原頼通が思いをこめて建てたからだとか、平安末期に起こった歴史的事件だとか、末法思想を聞きかじっていたからというわけではない。

平等院の建造物も、阿字池も、阿弥陀如来も雲中供養菩薩も、美しいもの、安らぐものとして存在する一方で、「いま」を否定するような強さを秘めている。

もしかしたら、極楽浄土が「死」あればこそ成り立っているのと同じで、すべてのものは変わりゆくことを大前提として受け入れて、人は生きていくべきであり、それこそが本当の極楽ではないかと思う。

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