講師ブログ

2018年2月23日

大学生講座, 学び, 私塾探訪, 講師ブログ

私塾探訪vol.1 適塾

緒方洪庵の適塾に来ました!
面白い!建物も展示も目を見張るものばかり!
広いお屋敷をウロウロキョロキョロとしつつ、気分はなんだか福沢諭吉です。

洪庵はどんな学生のどんな意見にも耳を傾け、「そうかそうか、君はそのように考えるのか」と朗らかに肯定して接していたと、本で読んだことがあります。

医学を志して適塾に入った塾生が、学ぶうちに兵学に目覚めるという話は興味深かったです。
〇〇になりたいから△△の資格を取って、〇〇大学で勉強して…という一本道思考がされがちですが、学びの”遊びの部分”をしっかり残しておきたい。
文系か理系かの二者択一から、まるでコンパスで同心円を広げていくかのような横断的な学び方に、時代は変わってきています。

針をどこに刺すかを決めるのは、若い学生たちです。健全に遊ぶことを恐れないでください。

やっぱり教育ってすごい。教職、教育業界が厳しいと言われて久しいですが、それでも「教える仕事」を求める人が続くのは、やはり生き物としての本能というべきか。「教えを繋ぐ」こと「人を育て、幸せに貢献する」ことは、命をつなぐことだと思います。

たとえ教えた人間が望むような形を完成できないまま人生を終えたとしても、それを受け継いでくれる人は必ずいます。
なぜ勉強するのか。なぜ学ぶのか。それは「将来、しかるべきだれかを助けるため」です。

2018年2月23日

大学受験, 講師ブログ, 進路指導

受験直前、直後のオトナの神対応

受験シーズン。この日のためにと一生懸命に励んできました。

実はこの時期、講師の新しい仕事がひそかに始まります。
物事に「絶対」がないのは受験も同じ。生徒の全員が成功するとは限りません。

もし成果が出たとしても、第2志望以下の合格では、やはり達成したとは言えません。
それが彼らが本当に望む到達レベルだったかどうかは、また別のお話です。

大人への階段を上るのに失敗は付き物ですが、こと受験に関しては、失敗の原因を一番よく分かっているのは本人であることがカギです。
私にも経験がありますが、自分で自分のしてきたことを苦々しく思うのは、やはり辛かった。

こんなときはとにかく聞き役に徹することが肝心。
人間というのは不思議なもので、とにかく横に座り、じっと見つめて、聞いてあげるだけで、ふと勝手に立ち直るものです。

それから満を持して、最後の進路指導、勉強の指導を始めるのです。

次の試験への切り替えをする子もいれば、受かったところで頑張ろうと思い始める子、来年こそはと決意する子、そもそも志望校だと思っていたところに行かなくても夢は叶うんじゃないだろうかと模索を始める子、いろいろいます。
それらのどの選択肢も、いまのその子にとっては必要な検討です。
今までは勝手に突っ走ってきたのが、塾や家族に正直に相談しようとするでしょうし、改めて助言を求めてきます。

そのときに本人とご家族に最適な道を提示するために、塾長はいろいろと調べ、考え、準備をするわけです、

気合いを入れて頑張らせるのは受験前日まで。
なかには受験シーズンからやたらとハイテンションになる講師や家族もいますが、それはちょっと違います。

受験がほかの誰のものでもなく、生徒本人のもの。これまでがんばってきた彼らが、そう簡単に潰れるわけはないのです。
余計な励ましもしません。生徒は絶対に自分の道を見出します。

成功すれば一緒に跳び跳ねて喜び、もし失敗したときには、一緒にコーヒーでも飲みながら、まずは聞き役に徹する。
大人ができる神対応のひとつです。

2018年2月19日

古文, 大学受験, 講師ブログ, 高1

高1生が挑む“中学の復習”

見た目は大人、頭脳は子ども。その名は・・・俺やん(汗)

古典の学校課題をしながらつぶやいた彼。あたり一面の大爆笑でしたが、あーなるほどなぁと思いました。

風波やまねば、なほ同じ所にとまれり。(土佐日記)

これを現代語訳したいのですが、うーんうーんと、まったくすすみません。

やまねば・・・?とまれり・・・?そう、漢字が思いつかないのです。

「風」「波」ときたら、「やむ」といえば「止む」。
(景色の言葉に引っ張られて「山」と言い出すツワモノもいます)

「とまる」は「泊まる」「泊まる」「留まる」と思いうかぶものですが、注釈に「(きのう同様、船が)」と書いてくれているので、それなら「停泊する」という意味だとなります。
(船が「泊まる」「停まる」の使い分けは、現代語でもごちゃごちゃになりやすいので、そこはご愛嬌)

以上を“一瞬で”“自力で”やれる力が必要です。

なぜなら、古典学習の本当のスタートはここから。接続助詞の「ば」、古語の「なほ」、完了の助動詞の「り」・・・。見た目も頭脳もほんものの「高校生」にならなくちゃ!

さぁ現代語訳。

風と波が止まないので、やはり同じ場所にいる。

「その名は俺やん」と、自分の漢字変換能力のなさを自覚した彼は、漢字検定3級の問題集を買って取り組み始めました。

え、これスタートなんやろ?古典ちゃうんやんな。漢字やばいわ。いまのうちに何とかせんと・・・なぁ先生?

この衝撃の「高校デビュー」を経て、いまの彼があります。

勉強の本質を理解した彼は、公立高校合格で燃え尽きることなく、むしろ中学よりも楽しそうに勉強しています。
校内上位10%をキープしつつ、4月からはいわゆる「受験学年」。

飛躍のきっかけは、たったひとつの「古文の宿題」であり、ささいな「漢字」でした。

でもおろそかにしなかった。初めの一歩で自分に足りないものを見つけ、何をどうすべきか気づいたのです。

あっぱれ^^

2018年1月23日

大学受験, 講師ブログ

古文を捨てる?大学受験生

そろそろ高2生の全員が進路に関心を持つ時期です。生徒に志望校をどうやって決めさせていますか。

志望学部→志望大学→受験科目の順に決定するのが理想です。「何を学びたいのか」「どこで学びたいか」「そのために何を勉強するか」ということです。

国語は文系ではほぼすべてで必須、理系ではセンター試験つまり国公立志望者には必須ということが多いのですが、ここで彼らにとって本当に「道が決まる」のは古文(漢文)です。

古文は捨てられます。高1から苦手、そういえば中学のときから嫌い、学校の授業はちゃんと聞いているのに、いざ試験前にノートを見直したら、何のことかさっぱりわからない・・・そんな悩みを抱える大学受験生にとって、「古文漢文で受験しない」というのは有益な選択肢のひとつです。

しかし、もし安易に捨ててしまった場合、その「道」には厳しさがつきまといます。

関西私立大学の場合、関関同立、産近甲龍レベルにおいて古文は必須です。捨ててしまっては配点上どうしても合格は不可能です。摂神追桃レベルでも一般入試では古文が課されます。

捨てる!そして絶対合格したい!となれば、それら以外の道、つまり私立大公募制推薦で確実に合格しておくのが近道です。文系では英語と現代文の2科目。理系なら国語そのものがありません。

ラッキー!と喜ぶ生徒もいますが・・・われわれ講師としては複雑です。高校入試から継続受講してくれて、指導を続けてきた生徒が、自身が決めたこととはいえ、偏差値50に届かない大学を「第一志望」にせざるを得ないのです。もしかしたら保護者の方も、心のどこかで同じ思いを抱えておられるかもしれませんよね。

古文・漢文は学年を問わず、いま習っていることがそのまま大学入試につながる科目です。

苦手なら早急に対応し、少なくとも定期テストや課題問題レベルは自力でこなせるようにさせましょう。得意な生徒には、模試や大学の過去問に早く取り組ませ、「もっと点数を上げるためにどんな勉強をすべきか」を提示しましょう。

私たち講師ができる最善の進路指導は「生徒の選択肢を多く持たせること」です。
そのキーポイントとして、ぜひ古文(漢文)の力を活用していただきたいと思います。