真花塾にほん伝統文化プロジェクト

2019年11月18日

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建勲神社〜信長の“強さ”と伝統芸能【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

船岡山にあり、織田信長を祀る神社である建勲神社は、「信長の大ファンだった」という明治天皇の御下命で創建されました。正式には「たけいさおじんじゃ」というそうです。

さて、信長といえば誰もがしる戦国武将。私にとっては、子ども時分に初めて知った歴史上の人物であり、社会人になっても折に触れて思い出します。原点にして頂点といったところでしょうか。メディアによる「理想の上司ランキング」でもよく登場します。皆さんは信長、お好きですか?

これまでさまざまになされてきた信長の功績や人物についての評価ですが、信長が「強かった」ことは確かといえるでしょう。今回は、とりわけ精神面の強さの秘密を考えてみます。

訪れたのは2019年初秋。青々とした木々と山、そして市街地が見渡せ、心地よい時間が流れていました。

建勲神社の数々の写真とともに、ぜひ信長の人生を流れる湧水を感じていただけたらと思います。

■若き日の“うつけ”と外見戦略
信長の”うつけ”エピソードは、奇抜ないでたちを中心に語られます。湯帷子に半袴に、瓢箪を腰にぶらさげて・・・という服装ですね。
さらには、父である信秀が病死した際、葬儀の場では大幅に遅刻したばかりか、いつもの”うつけ”姿に袴すら履いていない格好でやってきて、父の仏前に抹香を投げつけてさっさと帰ってしまったのです。

ですが、信長の”うつけ”は本人による「戦略」だったという説が有力です。

天正22(1553)年、美濃国の斉藤道三と会見したときのことです。すでに信長はその数年前に、斉藤道三の娘、濃姫を正室にしていました。

『信長公記』には、斉藤道三は娘婿のうつけぶりを、正式な面会前に覗き見していたという記述があります。会見場所の正得寺(いまは聖徳寺)にやってくる信長ご一行を、こっそりと見たかったのですね。

そして道三は、自分は礼儀正しい服装で信長を出迎えて、彼に恥をかかせようと考えていたのだとか。

それが・・・!

いざ実際に会見にやってきた信長は、髪も装束もしっかりとあらためており、道三を非常に驚かせただけでなく、道三との話の受け答えも堂々として立派だったとのことです。

もし若き信長がうつけを「戦略的に演じていた」として、その意図や道三との会見に臨んだ思いは、きっと本人のみぞ知るのでしょう。

ですが、私は子どもながらに、この行列のエピソードには大変な感銘を受けました。やるときゃやる!と、わざと普段との切り替えを見せることも、れっきとした戦略になるのだと知ったのです。

うつけ時代の信長の、織田家の嫡男らしからぬ奇抜な服装も、一説では庶民の生活空間にとけこみ、自分の目で実情を確かめたかったからだと言われています。若気の至りだとか、父・信秀への反抗心だとかいう意見も目にしたことがありますが、ここは「明確な意図」と、それに基づいた自己演出だと考えたいと思います。

■信長と謡・舞
有名な桶狭間の戦いは、永禄3(1560)年5月のことです。今川義元を迎え討つために発つ直前、信長が舞った幸若舞「敦盛」の「人間五十年」の節はあまりに知られています。

人間五十年
下天のうちにくらぶれば
夢幻のごとくなり
一たび生を得て
滅せぬもののあるべきか

最後の「か」は反語の係助詞です。つまり、「ひとたびこの世に生まれて、死なないものはあるだろうか、いやそんなはすはない。すべてのものはいつか必ず死ぬのだ」となります。

信長は当時27歳でした。そして、大軍を前に、負けは即、死を意味する危機的な状況から、私たちはつい「信長がこの謡のことばに自らを重ね、プレッシャーをはね返す力を得たのだろう」と推測しがちです。

でも、どうやらもっと根本的に「なぜ出陣の直前に舞ったのか」ということも考えておかなければならないようです。信長は、今川軍が織田領にせまっているという情報を得ておきながら、あえてすぐに迎え討つようなことをせず、騒ぐ家臣をよそに一人で部屋にこもっていました。

それは「自分の恐怖心と不安を逆手に取り、極限に高めておくための戦略的な時間だった」のだと聞いたことあります。そうでなければ、突然にこの「敦盛」を舞い、猛スピードで出陣の準備をして、家来を置いてきぼりにする勢いで駆けては行けなかっただろうと。

(小出しで受け取る断片的な情報を、一人で思案してつなぎ合わせ、いざ出陣して勝てるタイミングを計っていたからという解釈もあります)

恐怖と不安を逆手に取る意図があったとするならば、やはり謡って舞うという手段には納得させられます。謡のことばにももちろん感銘を受けますが、もっとフィジカルな信長の“強さの秘密”ともいえるものです。

■怖くなんてないさ!と思えてくるほどの内面と身体の充実
「おばけなんてうそさ」という歌がありますね。たとえば子どものころ、肝試しのときや、暗い夜道を行くときなど、口ずさむとちょっと怖さが和らいだ気持ちになったという人も多いのではないでしょうか。

日ごろから、理屈抜きに「どんなに恐怖があってもこれをすれば落ち着く!」という、自分のルーティンのようなものをひとつ身につけておくだけで、心にも振る舞いにも余裕が出てきます。あー不安だ、あーどうしよう怖い!という場面になっても、いざ大人になって社会に出ると、それをあからさまに見せていいわけではなくなっていきます。(とくにプレゼンテーションや営業など)

現代に生きる私たちにとって、ありのままの自分を知りながらも、マイナスな気持ちをコントロールしたり、いい意味で「他人が見たらどう感じるか」を気にして逆手に取ることも、生きる知恵といえるでしょう。

そんなとき、舞のもつ鍛錬の力を知っておくのもアイデアの一つです。もちろん、いまの時代においてはダンスのように身近なものではありませんし、ちょっと真似してみてできるようなものではないでしょう。だからこそ鍛錬にふさわしいといえます。

実際に仕舞を教わってみると

すり足によって足裏全体で地を踏みしめるような感覚
重心を下に維持した体重移動
・肩を下げるなどで自然と深くなっていく呼吸
・非日常的な稽古という時間と程よい緊張感

など、人それぞれに心地よさを感じられることと思います。

さらにでは

腹筋を使い、のどの奥が開くような発声
・とにかく大きな声をおもいきり出せる開放感

も得られます。

ただ「教えてもらおう」「楽しもう」という姿勢だけではなく、自分で練習してきたことが正しいかどうかを見ていただこう、教えていただこうという思いが芽生えやすいのも、伝統芸能ならではではないかと思います。いわゆるレッスン、と同じ意味とはならないのも、このあたりに秘密があるのかもしれません。

■信長の有名な「うつけ」「人生五十年」のエピソードを通じ、皆さんの信長に対するイメージは変わられたでしょうか。

歴史上の人物には魅力がいっぱいです。ごく一部の史実からでさえも、少し角度を変えて見てみることで、いまを生きる私たちにとってとても多くの気づきが得られます。

きっと信長は、戦国の世に生まれたから、織田家の当主だから強かったのではなく、若い時分から、自ら日々の鍛錬を行い、そして自分をよく知って演出を工夫し続けたからこそ、のちの歴史に残る功績につながったのでしょう。

真花塾は、”明日使える古典”をモットーに、大学生や社会人になっても皆さんの学びを応援しています。

2019年10月29日

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妙心寺塔頭 退蔵院 難問こそ楽しくアイデアを!「瓢鮎図」【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

お庭の美しさと呈茶がたのしめるお寺として、妙心寺の数多い塔頭のなかでも印象に残る退蔵院。かつ、禅の面白さに触れることのできる点で、非常に貴重な場所ではないかと思います。

写真の撮影時、季節は初秋。緑あざやかな木立が作り出す、光と影の美しさがとてもステキでした。

なかでも奥深い示唆を与えられる思いがするのは、如拙による水墨画、国宝「瓢鮎図」。歴史の教科書で見覚えのある人も多いのではないでしょうか。

中央に描かれている男性が、腕を突っ張りながら両手で瓢箪を持っています。水には、大きなナマズがどーんと泳いでいます。男性は何をしようとしているのかというと・・・ナマズを捕まえようとしているといいます、しかも瓢箪を使って。

「瓢箪でナマズを捕まえることができるか」

この問いの発案は、室町幕府四代将軍、足利義持です。画僧の如拙が絵を描いていますが、瓢鮎図の上半分を占めるようにびっしりと書かれた文言は、当時の禅僧たちによる「問いの答え」です。全部で31詩にもなります。

それにしても、表面ツルツルの瓢箪で、同じくツルツルにすべる鯰って、本当に押さえつけて捕まえられるものでしょうか。うーん・・・無理っぽくない?と誰もが思いますよね

31の「回答」である詩のなかから、印象的なものを挙げてみます。

■またどうして瓢箪で鯰をおさえようとするのか。
魚はそれすら意識せず、広い水の中を泳いでいる。それを同じように、人も無限の道(どう)にひたっているだけなのだ。

■客観的には“大笑い”
鯰の頭をおさえ、しっぽもおさえ、瓢箪は左へころころ、右へころころ
男は倒れて泥んこ。側で見る者にとってはクスクス笑うのみ。

■そのうちに鯰ではなくなるぞ
ただ水辺で瓢箪をつかっておさえていても、転がるだけた。鯰をおさえようとしてもどうしようもない。むしろ鯰は(そばに生えている)竹に登り、龍となるだろう。

面白い。31こ全てが、回答になっているような、なっていないような・・・いや、やっぱりなってない(笑)。

義持はこの謎かけにおいて、なにも完ぺきな答えを求めていたのではなく、出題そのものを楽しんでいたのだそうです。そして、回答する禅僧たちも、くすくすと笑いながら楽しんで考えていたのだといいます。「瓢箪で鯰なんて捕まえられるわけがないでしょ。そんなことを考えるよりもさ・・・」と斜め上のこたえを考えめぐらせる、彼らの笑いながらも真剣な表情が目に浮かぶようです。

禅といえば、座禅ですね。その座禅の目的も、大きく2パターンあると聞いたことがあります。ひとつは「無」になるための座禅、もうひとつは「あるテーマについて考えを巡らせる」(公案)ための座禅です。

後者について、公案とはことばを駆使して思考をすることです。悟りに至るために非常に重要だと言われていますが、興味深いのは同じ一つの公案であっても、禅僧たちの解釈はけっして同じではないことです。あえて、バラバラである解釈から学び取ることが大切なのだと思います。

あまり日常で「禅」を意識するチャンスの少ない私たちにとっても、ことばを読み、ことばを知り、そして気づいた事柄を自分のことばで表現することこそが「自分らしさ」を得ることに繋がります。

人は、幼児、小中学生、高校生を経て、大学生そして大人になるにつれ、学習の目的も姿勢も大きく異なっていきます。それでも「読み・書き・知り・努力を楽しむ」という学びの本質は同じです。

それは、内容をただただ丸暗記することに満足したり、誰かが述べる「正答」を覚えるだけだったり、自分で工夫することなく、指示された勉強「しか」やりたがらないうちは、けっして体得できないものです。ましてや楽しみを感じることはできません。

ですが、実社会は「すぐに答えが出そうにない問い」であふれています。ざっと仕事で求められるものを思いつくだけでも、仕事の効率化、顧客心理のつかみ方、商品開発、組織の活性化など。実際に挑まなければならない課題は、現場に合わせて細分化すれば数えきれないくらいです。

瓢鮎図を目の前にした禅僧たちのように、たとえ「そんなすぐに答えが分かるわけがない」と思ったとしても、「だからこそ起死回生のアイデアを」と楽しんで考え抜いていきたいものですね。

お庭での安らぎも、お抹茶とお菓子のおいしさも、そして悩み考えることの面白さと・・・。いい時間が過ごせました!

2019年7月13日

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お楽しみ!祇園祭2019【真花塾にほん伝統文化プロジェクト番外編】

京の夏といえばやはり祇園祭。今年で1150年を迎えます。

7月1日の吉符入(きっぷいり)を皮切りに、17日の前祭山鉾巡行、24日の後祭山鉾巡行、そして7月31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)と、一か月間にわたって神事、祭事が行われます。

カメラを片手に、女子大生スタッフTが鉾建て(10日~12日)お迎え提灯(12日)を見て歩きました!

まずは鉾建て。雨にも負けず!

函谷鉾

月鉾

放下鉾

数多くの懸想品に彩られた山鉾も、このように組み立てられていく過程も非常に興味深いものです。手際のよい技の数々に見入ってしまいます。

そしてお迎え提灯。神輿洗いを終えた神輿を出迎えます。

★今年はご縁をいただいて、真花塾メンバーも微力ながら屋台でお手伝い(^^♪
14日~16日、女子大生スタッフNのこんなチラシもお手に取っていただけるかも?!

2019年6月23日

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紫陽花の三室戸寺と『吾妻鏡』の思い出【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】

治承四年五月大廿七日戊寅。官兵等宇治の御室戸を燒き拂う。
是、三井寺の衆徒が城郭を搆えるに依て也。
同じき日、國々の源氏并びに興福、園城、兩寺の衆徒中で件の令旨に應じる之輩、
悉く以て攻撃被る可し之旨、仙洞に於て其の沙汰有りと云々。」

こんにちは!真花塾塾長ヨシカワです。今回の【真花塾にほん伝統文化プロジェクト】記事は、『吾妻鏡』の引用からスタートです。


私の三室戸寺との出会いは、大学2回生の春でした。たしか「日本史なんとかかんとか特講」という名前の授業で、『吾妻鏡』の治承4年の話をひたすら読み、語句を調べながらその背景を知るというものです。


高校時代は(一応)理系、大学受験は世界史で、日本史は中学レベルの知識しかなかった自分にとって、大学ではこの授業は本当に、いちばん苦しかったです。

図書館で、吉川弘文館の大きく重たい辞書などを引きながら、毎日夜遅くまでいくら格闘しても、まったくもってよくわからない。当てられそうな部分だけテキトーに調べ、まぁいっか、と予習を終えたこともあります。(おっと、受験生にはこれナイショ!)

もちろんその「なんとか特講」の横井先生には毎回叱られ続け、「分からないならなぜ辞書を引こうと思わなかったのか」「だいたいおまえ、ちゃんとした辞書を引き方も知らないまま大学に来たのか」と何度も言われたものです。

とくにはじめに書いた部分の、しかも「廿七」「戌寅」からさらに「御室戸」(三室戸寺のことです)の漢字が読めなかったときにはとんでもない大目玉でした。・・・当たり前ですねぇ(苦笑)

いまにして思えば、この「辞書を的確に引く」「情報をただ覚えるのではなくて目的をもって整理する」ことをがっつり学べたわけですから、やはり相当鍛えられたものです。


こうして十数年が経っても、色とりどりの紫陽花を眺めながら、「おまえ・・・どんだけ調べ方へたくそか!」と顔をゆがませて嘆く横井先生を思い出します。


さて、この紫陽花のなかには、ハート型のもあるそうです。2年前にはじめて訪れたとき、人混みの中でどこからか「これハート型ちゃう?!」と聞こえてきたのを合図のようにして、いっせいにウォーリーさんをさがせ!の紫陽花版が始まりました。


もちろん紫陽花はのべ1万株とききます。さらに花々の数を考えると、ちょっとめまいが(笑)。もう四葉のクローバーどころの騒ぎではありません。全然見つけられなかった・・・。


横井先生に言わせると、これも「調べ方がへたくそ」のうちに入るのかもしませんねぇ(笑)
いつか見てみたいものです(^^♪

2019年6月13日

ケーススタディ, コミュニケーション, 古典教養講座, 古文, 真花塾にほん伝統文化プロジェクト

【開催しました】狂言の登場人物に学ぶ!役立つコミュニケーション講座inOBPアカデミア

去る6月9日(日)午後、真花塾にほん伝統文化プロジェクト主催講座を行いました。狂言台本を講師とともに音読し、登場人物のセリフや行動から学べることを考えます。会場はこれまでの「塾教室」から飛び出して、OBPアカデミア(大阪市中央区)セミナールームです。能楽堂の座席をイメージしました。

狂言《魚説経》からの一場面からのオープニングです。「実際に狂言の演目を見たのは初めて。演じる声、伝えようとする声に圧倒され引き込まれた」とのお声も。

第一部。真花塾という塾名は世阿弥の「まことの花」に由来します。古典、古典芸能という切り口からいかに気づきを得るか、そしてどのように自分に活かすか、塾長吉川の狂言鑑賞経験からの気づきとともにお話しします。

第二部。いよいよ狂言台本《仏師》を音読します。本講座は一般的な音読や、接客研修にも取り入れられるような発声練習とは少し異なります。それは「セリフ」「登場人物の持つ背景」に着目しているからです。

「伝わる」コミュニケーションのポイントのひとつに「声」があります。また、実際の身振り手振りから、体と声を組み合わせて「伝える」ための工夫やアイデアを学びます。いわゆる「詐欺師」である仏師の、だましがばれそうになるときの必死の抵抗も面白い!

当塾では一般の方向けの講座後、かならずお菓子とお茶をお出ししています。お菓子は第1部の隠れたテーマでもあった「2020年」にちなみお選びしました。(写真は後日、塾長吉川の振り返りの場にて)

喫茶去の精神と、体験後の和気あいあいとした意見交換が活発化し、多くの方に「教えられる」こと以上に、「ご自身で気づきを得ることの大切さ」を感じていただける場となりますよう、今後も活動を続けてまいります。

そして「よし、明日自分は自分の活動において、どんな工夫をしてみようかな」と思いをめぐらすことの面白さを体感していただきだいと願っています。

最後に、ともに時間を過ごされたご参加の皆様、講師を務めてくださった河田圭輔(狂言実演講師)さん、朝原広基(能楽研究家)さん、当塾スタッフ、3月の会場さがしのときからご縁をいただいたOBPアカデミアのスタッフの方々、本当にありがとうございました!

皆さんの「まことの花」が、それぞれのフィールドで大きく咲き誇ることを夢見つつ、古典を「使う」ことへの可能性を追い続けます!